偉大な人というのは、近くに行っただけで、そのパワーをもらえるような気がする。
書いた本を読めば、自分もその存在に近づけた気がする。
そして、服装や、思想や、表現方法、言動を真似れば、自分の偉くなったような気がする。
事故啓蒙という意味では、意味がある行為だとは思うし
真似をして努力をする事は、学習の基本だとも思う。
学ぶという言葉自体、”まねぶ” に由来すると聞いた事もある。
ただ、あこがれて真似をしたり、尊敬をして真似をすればするほど
自分自身が遠い存在になっていく事が多いように思う。
カリスマ性は学ぶ物ではないからだ。
人を惹きつける能力は、どこからやってくるのだろうか?
ジョブス、マイケルジャクソン、坂本竜馬、尾崎豊など亡くなってもなお、熱烈なファンがいる人も多い。
私は、上記の人たちにはあまり惹かれない。
高知県出身なのに、坂本竜馬がどうしてもすごいと思えない。笑
ジョブスの事は良く知らないし、マイケルジャクソンは整形した白い黒人ってイメージしかない。
尾崎豊は、好きに生きてシャブ中になった人って感じ。
私は、誰に惹かれるかな?と考えてみた。
織田信長、曹操孟徳、アリストテレス、カント、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アントニ・ガウディ、サルバドール・ダリ、クリムト、とか、かな。
残酷、冷血、緻密、奇抜、雄大、鬼才、異端、反骨、混沌、淫猥、妖艶、そういうのが好きだ。
やっぱり自分の生き方と、自分がカリスマ性を持って見える相手ってのは、密接な関係にあるんだろうな。
異性に惹かれるというのは、また全く違う次元だと思うが
ノーマジーン、えぼし(もののけ姫)、ジャンヌ・ダルク、巴御前とかかなぁ。
綺麗、豪傑、一貫、妖艶、朧、刹那、天才、謎、って感じかな。
私には、自分が、そういう特殊な存在であり、カリスマ性があると思ってもらえるような存在
でありたいという願望がある。
私だけじゃなくて、みんなそうやって思っているのだろうな。
自分が特別な存在であるという事は、それだけで自分が生きている証となるから
生きている意味になる。
人間がこの世に生まれてくる意味なんて本当はないと思う。
己の存在意義を問うという事は、知能を持ってしまった人間が不必要なのについ考えてしまう
ような事で
コンピューターで言えば永久ループになるエラーみたいな事なんだと思う。
そのエラーを抑えたいばかりに、人は宗教を作り、自分の存在意義を無理矢理こじつける。
でも、それでもまだ、見いだせないから、他人に夢をかけるのかも。
私は、そのかけられる対象の人間として死ぬまで生きる覚悟がある。
頑張って、いい夢を語れるような人生を作ろう。
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