2年目の大検は、”あえて” 物理を選択せずに、生物を選択した。
何故なら雪辱戦だからだ。
今回は前回と同じ失敗をしない為にも、試験直前から2〜3週間は勉強した。
参考書みたいなのは全部やった。
1年間もあって、2週間かよ!という、つっこみはなしにして頂きたい。
遊ぶのが楽しい時期だ。笑
今回は
合格だ!!
これで、晴れて大学を受ける資格ができた。
とはいえ、行きたい大学などないのだが。
ウチは祖父も父親は歯科医で、おじさんも医者の医家系だ。
だから、歯科大を受けるように言われた。
私の素行が悪いせいで、山下家は崩壊寸前になっていたらしい。
私は家にいないので、父をずっと見ていないが、一緒に住んでいる方はたまったものではなかったようだ。
この状況で、歯科大を受けないとは言えるはずもない。
私は考えた。
歯科大を受けると言えば、仕送りがもらえる。
そして、私は東京で、誰からの目も届かない。
これは!?
勉強なんかせずに、遊んでいれば、楽に暮らしていけるじゃないか?
そう思った。
勉強しないと歯科大なんか受からない。
受からなければ、頭が悪いんだから、歯科大に入れないって事は、自動的に歯医者になるのが無理な子って事になる。
しかも1年遊べるじゃないか?
これは利用しない手はないと思った。
仕送りをもらいながら、パチンコ、麻雀、飲み、女、など、遊びを極めた。
そんな中、大学受験の日を迎えた。
3校の受験をした。
そのうちの1校の失態は昔の日記で書いた。笑
最初から受かるつもりなどなかったので、面接も金髪のままで行った。
面接官が、第一声、馬鹿にしたような半笑いで、私にこういう質問をしてきた。
『君は、ロックとかそういうバンドみたいなのをやっておるのかな?』
私は
『はい。ロックではないのですが……』
と、答えた。
面接官は、軽く笑いながら
『ほー、何をやっているのかな?』
と、さらに突っ込んできたので
私は
『ジャズです』 と、答えた。
さっきまで反笑いだった面接官の顔が、一気に渋い顔になっていった。笑
そんな感じで、無事? 大学受験は失敗に終わった。
その間、東京でも、ヤンキーとの喧嘩、東京の暴走族とのもめ事、暴力団の麻雀の代打ち、バイクの窃盗疑惑、警察の拳銃を○○した、流石に、いくらここでも自白できないような事件が起こった。
だが、うまくやったので、前歴、前科になるまでは発展しなかった。
あ、そういえば、その時期に私は、バイクの中型免許をきちんととって、無免許運転からやっと解放された。
ホンダのCBR400Fを買って快適なバイクライフを送っていたのだが
とある先輩のバーでスピリタスという96度のウォッカを飲まされ、記憶がないまま、泥酔状態でバイクに乗って、数々の道路交通法違反や、パトカーの器物破損、公務執行妨害などをして、逮捕された。
結果、免許取り消し3年くらった。
19歳だったので、ギリ未成年w
その後、私は、高知に戻ったり、大阪に行ったり、また東京に行ったりした。
そんな中、山下家は崩壊していた。
父がブチ切れて、母に出ていけ!と言ったそうだ。
しかし、しぶとく母が居座ったので、逆に父が出て行った。
別にマンションを借り、全く違う生活を送るようになったのだ。
母からその連絡を受けて、私は高知県に戻る事にした。
ここで高知に戻ったので、昔の暴走族の先輩連中に、狙われる事にもなった。
筋も通さずに、東京に行った事が気に食わんとの事だった。
この、いざこざも大変だったが、色んな他のグループの先輩方のおかげで
何とか沈静化できた。
高知に帰ると、最初、母はかなり動揺していた。
私は母に
『父に連絡して、謝って、戻って来てくださいって言った方がいい』
とアドバイスした。
しかし、母は
『なんで私が悪くないのに、謝らないとといけないの!!』
と、譲らない。
そして、父がいない家は、本当に平和で、友達も自由に出入りができて、本当に、本当に平和だった。
母は、そのあまりにも快適な暮らしが故に、父に連絡する事はなかった。
しかし、こんな変な生活がいつまでも続くわけがない。
この、実家の大きな家は、父が一生懸命働いた血と汗の結晶でもある。
そこから離れて、賃貸マンションに住んで、自分の妻だけが、その家に悠々と住んで、気分が良い訳がない。
だが、意外にも、この母にとって快適な期間は5年以上続いた。
その間に私は、何か手に職をつけようと思い、バイクや車が好きなだった事から、京都にある日産学園京都自動車専門学校という所に通った。
母の、快適な暮らしが急変するのは、まだ4年以上先の話なので、まずはここからは京都の話となる。
つづく
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