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2011年07月29日00:48

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イシュトバーン、犬のことについて、つらつらと書く。

 僕の家には、かつて二匹の犬がいた。
 
 母犬のチャオ(1987〜2003)は4匹の子どもを産み、うち3匹は、他の家の家族となる。
 残った女の子のモモ(1989〜2007)は、生命力と好奇心に溢れた「甘えん坊」であった。

 僕が大学へと進学した時(1996年)の時点で、二匹の犬は、人間でいうところの「中高年」にさしかかろうとしていた。
 このころから、
 「そろそろ二匹に“お迎え”が来ることも考えなきゃなァ…。」
 と、考えるようになった。

 そんな飼い主の気持ちを知ってか知らずか、おてんばなモモは、ミツバチにちょっかいを出して刺されてしまう。
 蜂の毒にやられてフラフラになっているモモを、偶然に見つけた僕は、
「母さん!モモの様子がおかしい!」
 幸いにも後遺症が残ることもなく、動物病院から退院した次の日から、
「早く散歩に連れてけ〜!」
と、僕らを急かしていた。
 
 ちなみに、モモは以前にも、散歩中に農薬の煙を誤って吸引したものの、すぐに病院へと担ぎ込んだことで、一命をとりとめたことがある。
 まったくタフというか、「懲りない」というか…。

 「お母さん犬」のチャオは食い意地が張ってはいたものの、お腹が満腹の時は、何か考え事をしているように見えた。
 もっとも、女の子なのにチャイコフスキーのようなヒゲを生やしていたこともあって、家族からは「思索家」のように思われていた、という一面もあるのだろうが…。
 
 お肉やお魚を前にするとチャオは、理性や「思索」そっちのけで、目玉が飛び出さんばかりの「パグも顔負け!」のすさまじい形相になった。
 しかし、困っていそうな犬や人間を見ると「ど〜したの?」と、思いやる一面も持ち合わせており、場合によっては「人間様」以上の人間味を発揮することもあった。

 チャオは2003年の11月に、モモは2007年の5月に、共に「大往生」で亡くなった。
 亡くなる年の夏に、家族と遊んだ後で大好物の紅茶を飲めたこともあってか、体毛がウソのように生えかわり、数か月の間、若返った。

 モモは、お坊さんの読経を「ポクポクと」聞いているうちに眠くなり(人間でも眠たくなるはずだ)、目が覚めたら「あの世」だったという次第…。
 文字通り「ぽっくり」と、お手本のような大往生をしたわけである。

 僕が、「二匹がこの世を去ることを受け容れる」際に、必要だったものは、「意外にも」宗教だった。
 
 なぜならば、

「2匹はあの世で、僕ら以上に楽しく過ごしているに違いない。仮に2匹が“原罪”を抱えていたとしても、我々“人間様”の比ではあるまいに!」

 と考えることを可能にするシステムは、「死後の世界」という概念を持つ、宗教くらいなものであったからである。
 念のために書いておくと、ここでの「宗教」とは特定の宗教や宗派を指すものではない。

 2匹がこの世を去ってから、僕が考えたことは、
 「“地獄”と言う概念は、宗教が誕生してからずっと後になってから派生した概念であるかもしれない」
 ということだった。
 おそらく、その教団なり宗派が誕生した後、ず〜っと後になってから、組織の運営上、「便利」な概念であったから、「地獄」という概念は生まれたのではなかろうか?
 それに、「地獄」や「煉獄(れんごく)」のようなものなら、残念ながら…、既に、この世に充分すぎるくらいに存在している…。
 
 おそらく我々が知らないのは、「極楽浄土」の方であろう。

 犬のことに話を戻そう。
 かつて家族総出の2匹の散歩の時、途中にあるお地蔵様に、
「2匹の犬が長生きできますように、賢くなりますように。」
と、お祈りしていた。

 今では逆で、祈られているのは、僕ら「人間」の方のような気がする…。
 
 なにはともあれ、天国にやすらい給え。

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