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2011年07月21日07:17

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自分で選ぶ。

私が小さい頃は、何でも親から禁止されていたように思う。


・甘いモノを食べる事
・TVを見ながらの食事
・アニメなどをしょっちゅう見る事
・下らない思想を生むTVを見る事
・派手な服装
・遅く家に帰る事

守らなければ、殴られる、木の棒で叩かれる。


今でも厳しい家庭はあると思うが、よっぽどの家でないと時代がゆるくなってきたので、幼児虐待だと言われかねない感じになってきた。


ウチの娘などは、そんなに厳しい躾をしていないのでワガママだと思う。
ただ、絶対に守らないといけない事や信念のような事はしっかり教えるようにはしている。


興味深い事がある。



ウチの娘は、チョコレートが嫌いだ。

そして

・フレッシュマンゴージュース
・オレンジジュース
・炭酸飲料
・牛乳
・水

などと多種な選択肢がある中で、水を選ぶ事が多い。
さらにTPOに応じてきちんと飲みたいモノが変わる。


私が子供の時は、ダメだと言われるモノを、食べてもいいと許可されると、そんなに好きでもないのにそれを選び、結果として好きになる場合があったと思う。

偏見による選択をしていたという事になる。


それにひきかえ、娘は、自由に選択できるので、曇りない眼で自分が本当に欲しているモノを選択する能力がある。



自由に選択できる中で、あえて、健康的な食べ物、飲み物、TV、音楽、そういうモノを子供が選べるという事に時代を感じる。



勝手な固定観念だが、子供は、体に悪そうなジャンクな食べ物や飲み物が好きで、アホ丸出しなTV番組が好きで、下らない子供向け大衆音楽みたいなのが好き!ってのは今の時代には通用しないようだ。


私はそういうバカ丸出しな感じの子供だったと思うので、自分から良い選択肢を出せるというそれだけで子供が大人に見える。





私が子供のときは、出来るだけ派手な格好をしたかった。マヨネーズたっぷりとかのジャンクフードやカップラーメンを毎日食べたかった。下らないTVや漫画を1日中見ていたかった。飲み物とかお菓子は赤とか青とか、体に悪そうな合成着色料のが好きだった。

目立ちたい、かっこいいのがいい、いつでも褒められたい、主役でありたい、でも自分からは何もしたくない、誰かに祭り上げてもらいたい、色んな努力はしたくない。

そういう性格だったし、自分の仲が良い友達はみんなそういう性格だったと思う。
これこそが子供というイメージだ。





しかし今、考えれば、それは反骨精神だったのではないか?

これしてはダメ、あれしてはダメ、が生み出した、本当はしたい訳でもないし、好きな訳でもないのに、反抗して、そうしてみたいと思うような心。


タバコはダメ!と言われたから吸った。
酒はダメ!と言われたから飲んだ。
喧嘩はダメ!と言われたから喧嘩した。
無免許運転ダメ!と言われたから無免許運転した。
不良娘と付き合っちゃダメ!と言われたからそういう女の子と付き合った。
真面目にしなくちゃダメ!と言われたから不真面目にした。
ピアスはダメ!と言われたからピアスをあけた。
刺青はやくざだ!と言われたから刺青を入れた。
歯医者になりなさい!と言われたから、歯医者に嫌悪感を持った。

おそらく当時、捕鯨はダメ!って言われたら鯨を捕まえにいっただろう。




躾というのはすごく大事だと思う。

でも、ダメ!ダメ!という事で

『ああ、これはダメな事なんだな』と素直に受け入れるタイプと
『なんでダメなの?』と、疑問に思うタイプがいると思う。

後者は、かならず、一度はダメと言われた事をやってみる。
で、頭がよければ、すぐやめるが、アホだとずっとやったりする。

すぐという期間も曖昧だが、とりあえず違反してみた!ってスタンスなら2回まで、いや納得するまでやってみるというスタンスなら1年程度だと思う。

これが反抗期の原動力になっているような気がする。



ダメ!ダメ!という強制的な抑制が少なく育った子供は、わがままにはなりやすいが、自分で考えるという能力は高くなると思う。

逆に、ダメ!ダメ!と押さえつけられて育った子供は、理性が強くなるが、自分で考える能力が低くなる可能性が高い。また私のように反骨精神から、あえてダメと言われる事を全部するようになる危険性もある。


過ぎたるは及ばざるが如し、どちらに行き過ぎてもダメなんだと思う。
また、本人の能力により、多少はどっちかに偏った方が良い時期というのもあると思う。






      『 無知なるが故の快楽 』




本当はこれが究極だと思う。知らぬが仏。


だが、これをするには、そうとう分厚い外壁が必要となるし、仮にその外壁がぶっ壊れたら死んでしまう可能性だってある。完全に養殖をしなければこんな人間は存在しえない。



そういう意味ではリアルの究極は、全てを知って、なお ”無知が故の快楽” と、同じ域に達する事ではないだろうか。


ここまで行くには、相当な知能と精神力が必要となる。


仏教では、これを悟りといい、キリスト教では、アガペーなどで説かれる。


怒りを捨てる事はできるか?

怒るという事は、自分の信念を汚される事を意味する。
だから、簡単に怒る人は信念のレベルが低い。

これをどんどん上げていくと、怒る事がどんどん少なくなっていく。
これだけで十分な修行と言えると思う。

怒りを捨てるのではなく、志を上げるのだ。




その為にも、選択肢の自由を消してはいけないと思う。





ありとあらゆる全てのモノの中から選べるが、その中から正しいモノを選ぶ能力がある人間と

正しいモノしか選択肢がないから、その中から正しいモノを選ぶしかない人間では



見た目は一緒かも知れないが、人間の精神レベルとしては雲泥の差だ。

月とすっぽん、提灯とシャンデリア、快楽殺人犯とノーベル平和賞受賞者だ。
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