mixiユーザー(id:1512719)

2008年10月08日11:49

118 view

矛盾。

矛盾(むじゅん)とは、みなさん知っての通り、条件を統合すると言っている物事の道理(どうり)がおかしくなってしまう事を言う。

・この矛(ほこ)は何でも突き通す事ができる最強の矛です!!
・この盾(たて)はどんな攻撃も防ぐ事ができる最強の盾です!!

じゃー、その矛で、その盾をついてみろ! どうなるんだ? 言ってる事が滅茶苦茶じゃないか?        これが矛盾である。


新約聖書中の「テトスへの手紙」(1章12-15節)の中にこういうパラドックス(矛盾)があるそうだ。

-----------------彼ら(=クレタ人)のうちの一人、預言者自身が次のように言いました。
「クレタ人はいつもうそつき、悪い獣、怠惰(たいだ)な大食漢(たいしょくかん)だ」
この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく(きびしく)戒めて(いましめて)、信仰を健全に保たせ、ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい。-------------------------------------------------------------------

が、しかしクレタ人が本当にいつもウソつきならば、この預言者もウソつきである為に、実際はクレタ人はウソつきではないという事になる。これが所謂(いわゆる)パラドックスだ。

僕も自分の意見を1個づつ説明している時に、「それはさっき言った事と矛盾してない?」と、言われる事がたまにある。自分の中ではその矛盾におかしさを全く感じないのだが、あまりにも混沌(こんとん)としすぎている場合が多く、言葉という限られた表現方法で他人に説明するには自分の範疇(はんちゅう)を超えると常々考えていた。

今回は矛盾している真理や、理論上は矛盾しているが実際にはそれが正しいというモノが存在する事を、詭弁(きべん)としてではなく、日本語という言語をつかってパラドックスを解くという事にチャレンジしてみたいと思う。

上のクレタ人の文章の場合、詭弁にも聞こえるかもしれないが、「多くのクレタ人は…」などと全てではないという注釈をつければ簡単に矛盾は回避できる。これを言い訳だとするのであれば、全てに当てはまるとする事の方が非自然的ではないかという意見の方がもっともらしくもある。

ゲーデルの不完全性定理の証明に「この命題は証明できない」というのがあるが、これは上記命題が証明できなくとも、それ故に正しいと考えれば、真偽(しんぎ)の反転は起きず、パラドックスにもならない。これを応用すれば、証明できる事を言及しなければ、それは常に真実だという事になる。

真偽の反転。これは言葉で相手を理解してもらおうというタイプの人間にとって一番恐ろしい事ではないだろうか。語るに落ちる瞬間である。

ボクサーのようなコブシひとつでのし上がった人間は、コブシで叩き落される可能性が高い。
お金でのし上がった人間は、お金で叩き落とす事ができる。
同様に、言葉や理論の正しさで自分の価値を見出した人間は、言葉だけで奈落の底に叩き落とされてしまう。

筋が通る、通らない。 すこしヤクザ的な話なのかもしれないが、筋が通るというは、相手が納得するかどうかであり、その言っている事の正しさや正当性そのものを直接指すではない。だからそのスジの本職の人は、最初は筋だ何だという割には、最後は脅しや暴力を武器にする人が多い。実際、人間というのは恐怖に弱いし痛さに弱いから有効な手段ではあるのだが、だからこそ、それを駆使する人間は嫌われる場合が多い。実際、無理が通れば道理は引っ込むのも事実である。しかし、これは言葉を重んじる人間にしか通用しないのもまた事実だ。感情を言葉で表現すると、すぐに子供の理屈だと言う人が多いが、感情というのは言語化するのが至難であるからだろう。

「なんとなくハラがたったから殴った」「意味なく急に悲しい気分になり泣いた」などと理由がはっきりしないのに感情が起伏する事は現実的に皆無ではないだろうが、これは子供に多くみられ、大人になると理性でカバーする為にあまり普段はお目にかからない。しかし、それをカバーしきれないほどに心が揺れ動いた場合、これを言語化してみるとあまりにも幼稚すぎる。「俺的には…」「何か知らんけど…」「…っぽい」という言葉を使って、自分の言っている事が矛盾しないようにフォローするしか手はない。

十分な理由がない感情を表現するという事は、すでにそれだけで矛盾を抱えているという事なのだろう。

すこし話がそれてしまったが、これらを加味(かみ)すると、矛盾したままの状態であっても、それが真実である事はこの世の中の相当数存在するという事が分かる。となると、「それ矛盾してない?」って相手を責める事の方も矛盾の理論にハマる事になる。「矛盾しているが真実である」これこそが真であり、それを矛盾させないような理論は真ではない。その落とし穴にハマって、矛盾した事実を矛盾しないように説明をしてしまうという行為や。矛盾点をつく行為が、すでにもうパラドックスであるのではないだろうか。

言葉はすごく大事だし、自分という人間の存在を自分自身の言葉で作り上げる事も大事であるが、それに固執(こしつ)しすぎると、その言葉に殺されてしまうかも知れない。
0 10

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2008年10月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031