mixiユーザー(id:1512719)

2008年08月20日06:01

90 view

人間関係。

人間、きちんと自分の思ってる事を言い続ければ、必ず伝わるもんやと最近つよく思う。
これを突き通す事で自分自身の心も、取り巻きの環境も随分(ずいぶん)と良い感じになってきた。

物事を複雑にするのは、勝手に他人の気持ちを代弁したりする人間の存在であったりする場合が多い。お節介(おせっかい)が最悪の状態を作り上げる。

学生時代とかに告白した女の子の友達が、全然関係ないのにシャシャリ出てきて『あんたみたいな人には○○ちゃんは似合わない。○○ちゃんだって、あんたの事は嫌いだよ。』とか平気でバカみたいな事を言っちゃうような事があったような気がするが、そういう最悪のタイプの人間の事だ。

お節介をしたい人間というのは、自分自身の中では、本当に相手の事を思ってやっているのであるが、当人の想像力の欠如(けつじょ)からなのか、どうしても自分の想像する理想に向けてのお節介を焼いてしまう傾向が強い。自分の想像する相手の幸せと、相手にとっての幸せは必ずしも一致するとは限らなので、当人は迷惑し、周りも迷惑する場合も多い。いわゆる『小さな親切、大きなお世話』というような状態だろう。

こういったお節介の心理は優しい心が原動力であるとは思うのであるが、その純粋な心と、自分を良く思われたいというエゴと、相手の幸せを自分が勝手に決めてしまっている図々しさ(ずうずうしさ)が複雑に絡み(からみ)あって生まれるモノかと思われる。

自分をよく思われたいと思う人間のエゴは大なり小なり人間なら持っているのであるが、私の場合は、それを捨ててでも他人を優先する事が良い事だと今まで信じて生きてきた。

しかし、これは道徳的にはものすごく正しい思想ではあるものの、人間の摂理(せつり)に反した行為であり、いわゆる普通の人からは変人扱いを受けるという事に最近気づいてきた。

利害を捨てて他人の為になる事をするという事は、何か裏があると印象付けてしまい、逆に胡散臭い(うさんくさい)人間であると思われるケースが多いという事になるという事だ。

今までの人生では『おうおう、勝手に思いたいヤツは思えやコラ!』という姿勢で生きてきた。
しかしそうではなく、素直に自分の本心を打ち明ければ、それに賛同(さんどう)してくれる人間と、そういう生き方にはついていけない人間ができる。

今までの私は、賛同しかねる人間に対して『何で俺の気持ちが分からんのや!』と、憤りを感じて生きてきたのだが、さらに、そうではなく『それぞれ人間は持っている志が違うのだから”どうしてそうではないのか?”を、きちんと話すればいい』と思うようになった。

が、しかし、さらにさらに、世間的にはこれではまだ不十分であり、『私の事は、ほおっておいてくれ!』と思う人間の数の方が多いのだとも気づいた。

私の個人的な考えでは『ほおっておいてほしければ、他人の意見に評論すべきではない!』と、思うのであるが、これも人間の性(さが)で、他人の欠点をついついイジりたくなるようだ。

たとえばプロのスポーツ選手に対して 『アホか…どんくさい』 とか 『それはないやろ…』 とか、つい言ってしまう場合があると思うが、100%に近い確立で、自分よりはその選手の方が遥かに能力は高い訳で、これは全く以って(まったくもって)自分を棚(たな)に上げた恥ずべき意見である。

その道で努力した事がある人間であればあるほど、そのプロの選手を見る目は厳しくなるとは思うが、実際の当人を理解する能力は高いはずだ。

これは日常生活でも同じ事が言えるだろう。

本当にしんどい目にあった人間や、本当に悲しい気持ちを味わった人間には、そういう立場の人間の苦しみや悲しみが分かるのであるが、客観的(きゃっかんてき)に出来事を垣間見た(かいまみた)だけの傍観者(ぼうかんしゃ)には、事件の結果の愚かしさ(おろかしさ)しか映らない。

『そんなのあたり前だ。所詮(しょせん)他人ごとだ!』と、思う人が大半かもしれない。

でも私はそんな世界がウソ臭くて大嫌いだから、私の友達や家族や、私を応援してくれる人間にはそういう人間になってもらいたくないと思う。

本当の優しさっていうのは、同情する事でも、情けをかける事でも、ないと思う。
利害を考えず、その人の立場になれる人間の事を言うのだと思う。利害を考えないというのは『最悪、自分がどうなってでも、あいつだけは…』という覚悟がある人間かどうか?と、いう事である。

人間である以上、あやまちはある。人様に知られたくないような事件だって多少なりとある。
それを誤魔化さず(ごまかさず)にどれだけ相手とぶつかれるかが、人間関係では大事ではないのだろうか?

人間だから誰でも良い格好はしたい。カッコつけたい。それは全然OKだと思う。
でも裏表を作って器用に生きても、その先に何が待っているのだろうか?
自分自身は、どんな未来を作りたいのだろうか?
明日、事故で死んだとして後悔しないのだろうか?

潤滑油(じゅんかつゆ)としての体裁(ていさい)は日本の良い文化であると思うが、度が過ぎるのは、冷たい人間関係しか作らない。昔の日本はもっと人間同士が近かったからこそ、この潤滑油がうまく作動していたのだろうが、現在の日本では、この潤滑油はうまく作動していないように思う。

何も『なりふり構わずに、自分勝手になれ!』と言っている訳ではない。
もっと自分以外の関係ない他人を愛してあげてもいいんじゃないだろうか?

そうする事で、くだらない接客の店員にキレる事もなくなるし、下らない事件でクレームを言う必要もなくなる。当然モンスター○○もなくなる。

恋人に対するような『愛』をもっとみんなに分けてあげよう。
そうすれば『恨み』『辛み』『妬み』『嫉妬』がなくなり、結果、争いや戦争がなくなる気がする。

これは世の中のキレイ事なんかじゃない。自分自身の心の問題だと思う。
何だカンだといって、こういう考え方の世界がダメなんて思ってる人間はあまりいないと思うのだが、何かが邪魔して、そうできない・そうしたくないだけなんだと思う。

邪魔するのは何だろうか? ワガママな心とか、卑屈(ひくつ)な根性とか、あきらめとか、そういったモノが多いのではないだろうか。 『どうせ俺は…』 『そんなうまくいけば苦労しない…』 『それが出来れば苦労せんわ…』 など…。

そういう考え方の人間は、まだまだ努力が足りないと思う。死ぬ気で努力してみれば、死ぬ気で努力した人の気持ちが分かる。一生懸命に人生を生きてみれば、一生懸命に生きた人の事が分かると思う。

そういう私だって、まだまだ努力が足りないから、色んな事が分かってない。
これからの人生も死ぬまで一生懸命に努力していきたいと思う。

私個人の極論(きょくろん)であるが、この事に関しては、命果てるまで『もうこれくらい頑張ったからいいだろう…』なんて事は存在しないと思っている。

それこそ『死ぬ気で生きろ!』だ!(笑。

みんな頑張って生きようぜぃ!!
0 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2008年08月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31