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2008年08月14日11:26

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友達。

私は小学校の頃、塾に通い、中学受験の為に、学校をサボってでも勉強をさせられた。
頭脳の能力的には天才ではないので、一生懸命勉強した分がそれなりに反映されるという程度の成績だったが、高知県内でのテストでは700人中最高で15番とかはあった。

当時では高知県で一番、偏差値が高く、東大をはじめ一流大学進学率が一番高い、私立の中学高校に通った。

この学校で知り合った友達はすごい財産だと思う。金持ちや権力者の息子も多いし、今、この年になると、それなりに偉いポジションをつかんでいるヤツも少なくない。

しかし、実際に在学中はそんな事なんか1回たりとも気にした事なんかなかった。
いきがって、自分という人間を早く作り上げたかったに違いない。まぁ今考えれば、学生時代から、利害関係を気にして友達付き合いをするようなヤツはロクな大人にはなれんだろうから、無知なるが故の快楽というヤツか…。

その時の友達。本当に心からいい友達だと思える人間も数名いるのだが、振り返ると
『自分が優位に立つ為に、重要な事は友達に教えず ”お前は自分で努力しろよ”…と、いうような考え方』 のヤツが多かったように思う。今考えれば、相乗効果が低い、わがままな集団だ。

私の友達には、この進学校の友達ですら、世間からハミ出した感じの人間が多かったのだが、彼らはものすごく勤勉で努力家だった。それにひきかえ、私は学生時代に全然、努力をしなかった…。

体力にしろ、走るのにしろ、怠惰にしていても人より優れてるって、かなりオゴってた。
特に陸上部で多少鍛えていたし、正直『俺様、すごいだろ?』って思ってた(笑。

勉強の方は、クラスでビリに近い場合が多く、実力テスト以外の中間テスト、期末テストは散々な状態だったけど、『この進学校で、全く勉強しないのにビリじゃないなんて、俺ってすごいな…』 なんて、調子に乗ってたのだと思う…。

麻雀やパチンコなどの博打の才能に優れた友達が多い中で、私はカモにされた時期もある。今の私が、過去の私の友達ならば、過去の私のような人間をカモにしたりするような行為は絶対にしない。どこが悪いのかをイチイチ丁寧に教えると思う。なぜなら、弱いものイジメはカッコ悪いからだ。真の友達ならば、みんなで一緒に強くなってから、その状態で勝負を挑みたいと思うのが普通だと思う。しかし、俺の友達である彼らの思考・戦略はそれとは違っていた。

私は負ける側だったからこそ分かるのであるが、負けても、カモにされても挑むという人は、いつも負けると分かっていても、勝負を逃げるのはもっとカッコ悪いと思うからこそ、また勝負に挑む。が、しかし勝つ方は一枚上手で、その事を知っててワザと「最近、気合入ってるよね!」「最近、腕あげたんじゃない?」などと煽り、また勝負する気にさせて、さらにカモる。

最悪な事に、常勝組はカモには意地でも負ける訳にいかないと思っているから、友達相手でも時にはイカサマを使ってでも勝つ時もあった。イカサマというのは難しい。たとえイカサマであったとしても、それを完全に証明する方法がない限り、それは単なるこっちの言いがかりでしかない。それどころか、完全にイカサマを証明できなかった場合は、友達を侮辱する行為に当たるので、実際には、そう簡単には暴露できない状態の場合が多い。そして、その環境を相手も最大限に利用している感も強かった。こんな状態では友達とは言えないのかも知れないが、私にとっては、それはそれで相当な精神鍛錬になった時期だった。

友達とは単に助け合って、傷の舐め合いをして、共感しあうものではないという基礎を学生時代に学んだ気がする。

この時代にも軽いイジメはあった。イジメというよりは『パシリ君は何もしていないのに蹴られる。』という感じだったのだが、当時の私は、それを良い事だとは思わなかったのだが、イジメられているヤツに親身になって話を聞いてもロクな結果にならなかった。結局は、親身になって話しても、すぐ調子に乗って人をバカにした口調になるヤツが多かった。『だからお前はイジメられるがよや、ボケ!』って、私までがキレてしまう。本当はイジメられるヤツの性格とイジメるヤツの性格はよく似ていると思った。


そんな最中、私は時代遅れに糞・ヤンキーだったので、素行が悪さから高校2年で中退した。ここが第一回目の人生の大きなターンニングポイントとなった。

しょっちゅう街で喧嘩をしたりしていた。気がつけば、暴走族の頭をやった時期もあった。
『力』と『気合い』と『根性』があれば、男はついてくると思った。
また、『力』と『知名度』と『見せかけの優しさ』と『笑いのセンス』があれば、女はついてくると確信した時期でもあった。

友達とは何だ? と、この時期に聞かれたら、まちがいなく 『自分の為に死んでくれるヤツだ。当然、俺もそいつの為なら死ねる』 と、豪語した事だろう。何も考えなくても、気合いが入っている人間を集めれば、それだけで自分は誰にも指図される事はなくなると思い、それに必死だった。しかし同時にその面倒臭さを感じていたから、常に楽しい事を探したくてウズウズして仕方なかった。少しの時間がタイクツなだけで、『暇やなぁ…』と、いつもいつも口癖のように言っていた気がする。

この時期に権力とは何か?支配とは何か?という事について、少し学んだ。

それからは、歌舞伎町でもバイトした。日産で会社員もした。25歳で会社を作った。メンズ(ホストクラブ)もやった。バリでレストランを2軒出した。

今、友達とは、何か? と聞かれたら

『利害なく、同じ方向に進める人間』と答えるかな…。

死ぬかもしれないような争いが起こった時に、一緒に戦ってくれる友達がまわりにいるのは、ものすごく頼もしい。しかし、私の為に簡単に命を落とすような友達がすごいとは思わなくなった。私の為を思うのであったら死んでほしくないって思うようになったからだ。

未だに私は、『本当の友達の為なら死ねる』って思う。でもそれは死ぬという覚悟があるかこそ生きるって事であって、昔みたいに命を無駄に考えている訳ではない。

20歳の頃、『私みたいなタイプが戦国時代に生きていたら、真っ先に死ぬんだろうなぁ…。』
って思った事がある。その頃と根性とか気合いは変わっていないが、今なら『少しは権力争いの戦争に参加できるかも…』と思うようになった。みんなの心に答えるという責任感がついてきたのかな。

う〜ん、それは少しは私も大人になったって事なのかな…?

友達とは財産だ。思想も財産だ。
生きる道というのは険しいけど、大事なモノを見誤らない心を大事にしよう。

みんなが幸せに笑顔で暮らせる集団を作っていこう。そういう集団を私だけでなく、みんなが作って、その集団同士がドンドン絆を深めれば、世界平和も夢じゃない。自分に出来る事をまずやろう。

私は、私を理解してくれる友達がいる。それだけですごく幸せなのだが、私自信は、それを守る為に死ぬまで努力しないといけないな…。
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