なぎら健壱「赤塚さんは気持ちが子供」
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伝説の「トキワ荘の7人」も最早ご存命の方の方が少くなった。
▼鬼籍に入られた方;故寺田ヒロオ、故石ノ森章太郎、故藤子F不二雄氏そして、今回赤塚不二夫氏。(勿論、別格で神様・故手塚治虫氏)
△ご存命の方:藤子不二夫Aセンセ、水野英子センセ、鈴木伸一氏(ラーメン大好き小池さん/現秋葉アニメミュ-ジアム館長)
長く寝たきりでとは聞いていたが、昨年か一昨年、看病疲れからか奥様(後添えさん)が先にみまかれれたくらいで、ああ、大変だなぁとは思っていた。何と3日前に前妻さんの方も先に天に召されていたとのこと。きっと連れてくんだねぇ。相次いで実のご両親を亡くし、一人残された娘さんのお悲しみ、いかばかりか?葬儀の連チャンも気が滅入りそうだ(鬱)
昭和の「ギャグ漫画王」の名前を欲しいままにした。一時は連載してない週刊少年漫画誌はなかったくらいだろう。マガジン、サンデー、チャンピオンetc
今も手塚賞、赤塚賞と新人登竜門にその名前を残し、漫画の神様の横に名前は肩をならべているこの稀代のギャグ漫画の天才は、「シェー」や「ニャロメ」の流行語。「イヤミ」や「ケムンパス」や、「ウナギ犬」の数々のキャラクターを産み出した。当時としては画期的なコトだった。
狙って作ればキャラクターになったのだ。「ベシ」や「ウナギ犬」はそうして出来た。狙わなくても「レレレのおじさん」や「目玉つながりの本官さん」はキャラクターになっていった。その代わりいつも主人公はパッとしないつーか、どーでもイイ扱いだった。ア太郎、おそ松くん、バカボン、、、orz みんな脇役のニャロメとかイヤミとかチビ太にとかバカボンパパとその後輩達に食われっぱなしだったw
やさしい人だったのだろう。いつも脇役に過多とも思える愛情を注いでいた。 いや、子供の頃は大変笑わせていただきました。先生本当にありがとうございました。オトナになってからもチョッピリでつがお世話になりました。わらしの最初の会社が「おそ松くん」「天才バカボン」
のアニメ化にからんでいましたんで何個か販促用のキャクタープレミアムを作らせていただいたことがございます。
晩年は、漫画の枠を超え、「タモリ」とゆータレントまで生み出してしまった。勿論、「創作」ではなく「発掘」なのだろうが、わらしはコレも彼の創作活動の一環「プロデュース」として評価したいのである。もちろん最初は酒の上でのお遊びだったのでしょうが、、、
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http://www.1101.com/jazz2/takahira/2007-10-31.html
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2回目の「41歳の春」くらいまで生きてもらいたかったです。
先生、お出かけでぇすかぁ?
「ちょっと雲の上まで。」
レレレのれ、、、、orz
合掌。

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