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2007年10月27日10:50

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ヤンキー。

ヤンキーという言葉にどういうイメージがあるだろうか?

元々は南北戦争当時、アメリカ南部で北軍の兵士や北部諸州人を軽蔑した呼び方であったが後にアメリカ人全体をさした言葉になったらしい。

それより由来した言葉なのか、はたまた関西弁で「ヤンケー」と連発する事が由来とも言われるが実際は定かではないらしい。そしてこのヤンキーという言葉は現在日本社会では不良全体を指す訳ではない。さらに最近では、主に褒め言葉として使われる事は少ない。

たとえばチーマー系ギャング系の若者は、パンチパーマで白のピッチリしたスラックスにエナメル靴ファッションをダサい「ヤンキーファッション」だとバカにする。しかし、すこし田舎に行くとこのヤンキーファションとギャング系ファッションは共存していたりもする。パンク系とメタル系が仲良くしている事だってある。

・革靴のかかとをつぶして履くのはダサいヤンキー。
・赤のカーデガンを着るのはダサいヤンキー。
・金髪リーゼントパーマはダサいヤンキー。
・赤のメッシュはダサいヤンキー。
・ジーンズのボンタンはダサいヤンキー。
・ジャージで女モンのサンダルはくのはダサいヤンキー。

じゃーかっこいいいヤンキーってのはどんなだろう?ん?かっこいいヤンキーってあるのか?
漫画とかならあるな…。どんなんだろうか?

・筋が通り、男として曲がった事が嫌い。
・友達や女の為に命をはれる。
・一旦決めた事は簡単にあきらめない。
・世間や他人になびかない。

こうやって書いていて分かった。ヤンキーはファッションはダサいが、心はイケテル場合が多いって事か。ただ、ヤンキーに限らず、不良と言われる若者の善悪の基準は、法律の基準と大きくズレでいる人が多いのは事実だから、そこんトコはツッコミ所が満載だが。

ここでもうひとつ分かった。「ヤンキー」といってバカにしたい人は自分に自信がなく「法律を無視するにも関わらずカリスマ性がある人間」を認めたくないのだろうと。別に対象をヤンキーに絞らなくてもいい。目立つ存在ですき放題していると映る存在を許したくないだけだろう。本当はそれなりの憧れ的なモノがあるのだが、バカにする事でもっとダメダメな自分を慰めたいだけかもしれない。「俺は少なくとも法律は犯してない」とか「俺は他人に迷惑をかけない」とか「あんなバカな格好はしない」とかピンポイントだけで人間を判断して、そこだけを重視して論点をズラして、自分がマシな人間だと擁護したいだけだろう。

「パンク」「ネオナチ」「チーマー」「カラーギャング」などなど

ファッションセンスはクラッシックヤンキーより全然高いと思う。けど結局、。悪ガキのありあまるパワーのハケぐちには変わりないと思う。「ネオナチ」「右翼団体」に参加しているガキの何%がその思想を理解して信念を持っているというのだろうか。単に暴れたいから、ハバ利かせたいから、参加しているだけだ。だからこそバカ扱いされるのだろうが、みんながそうではないという本質を見る事には興味がなく、結果起きたバカな事件にのみ興味があるのは、大衆性の特性というモノなのだろうか。

無法者をのさばらせると言う理不尽さにイラだちを感じるタイプの人間というのは、法律に縛られずに好き放題できる人間をバカにでもしないと、自分が生きてきた意味すらなくなる気がするんだろう。大体、何時の世でも「歌舞伎者」は変わった格好、目だった格好をする。
それは一般大衆からバカにされるに値する場合が多いのだが、江戸時代みたいな完全な乱世では殺されかねないので言えない人が多い。平和な世の中だから言えるのだし、ましてやネットみたいな匿名性が高い場があるから言えるのだろう。かなりコスい表現方法だ。

人というのは得手して、自分の理解できない強力なパワーが怖い。自分が飲み込まれる恐怖からかもしれないし、若しくは生きてきた意味自体が否定されるかもしれないからだろう。だからそういう理解できないパワーとぶつかった時にはまず最初に「怒る」か「逃げる」。これは99%そうだ。そして心の弱い人間は極めつけに陰口を言う。これは最悪としか言えない。「怒る」人間はそれ以降の話合いでなんとかなる可能性があるが、逃げた上に陰口を言うような人間ではどうしようもない。さらにはそういうタイプの人間は追い詰められると法律や人権や他人が決めた決まり事を頼り、自分が感じた理不尽さから必死で逃げようとする。自分では何も出来ないモンだから権力に頼る。そしてこれを国家は守ったりする。アホらしすぎる。これを権力ではなく理論や正論、正義の基準を自分で持ち、それにゆだねて行動する人間のほうがずっとカッコイイのだが、その場合でも、それを面と向かって言えるかどうかが大事であり、思想自体には大した威力はない。

人間として正しく生きる道って何だろう?その基準に対して法律は万能ではない。法律の基準なんて本当はアホくさい。アホくさいが、そうしないとやっていけないというもっとアホくさい世の中があるから仕方がない。

「ヤンキー」をバカにする人間は「低脳」「どんくさい」「非理論的」「非社会的」を嫌う人が多い。別に「ヤンキー」を擁護するつもりはないが、DQN、珍走団、なんて一生懸命色んな名前を駆使してバカにする暇があったら自分の人生を考えた方がいい。他人の批評はアホでもできるが自分を批評し、改善する努力をするのはアホではできない。

そもそも人をバカにしたい人間は自分に自信がないコンプレックスの塊のような人間が多い。自分にそれなりの自信があれば、誰もバカにする必要はないし、他人がそれほど気にならない。

私はアナーキストでマイノリストなのでマジョリティ(大衆性)にはコンプレックスがある。エグザイルとかグレイだとかチューブだとかサザンで感動する事ができない。タイタニックやアルマゲドンでは泣けない。感動を覚え鳥肌が立つのはハードコアなメロディーとかハチ公物語とかだ。

ソレに対して自分がかっこいいとかは思っていないが、誰かが仕組んだ流行や勢いに流されて何の信念もないのに、自分が好きなモノはコレだ!!みたいに洗脳されている状態は怖い。意外と好きだ好きだと言いながらも「何で?」と聞かれると「モト彼が好きだったから」「友達がいつも聞いていたから」だったりする。それを悪い事だとは思わない。人それぞれ色んな
きっかけがあって然りだ。ただ怖いと思う。人間の信念って何だろう?こだわりって何だろう?私にとっては命より大事な場所に位置するこだわりや信念って少しはあるんだが、それは稀な事なのだろうか?

「美しくなければ生きている価値がない(ハウルの動く城<ハウル>)」などはまさに美意識が命より大事な場所に位置している。「生き恥を晒すくらいなら死んだ方がマシだ(ワンピース<ゾロ>)」も同じだ。このこだわりは時に戦争を引き起こすような頑固で柔軟性のない物であると思うが、このようなこだわりを持った人間に重みを感じるのは私だけではないはずだ。

ヤンキーはこの信念がダサいのだろうか?ギャングはカッコイイのか?V系は?Aボーイ系は?ヲタクは?エリート組は?

ダボ系の服でデカいアメ車に乗ってサイプレスヒルを聞いているヤンキーだっているだろう。こいつはB系との差はない。そしてこいつが医者の息子で医科大に通っている可能性もある。

だからこういったグループ分けで生き方や将来を見る能力、バカかどうか?などを分類できる訳もない。真面目な年配の人から見れば「お兄系」であろうが「ギャル男系」であろうが一緒だろうし「V系ギャル」であろうが「ゴスロリ系」であろうが同じに見えると思う。自分の中での違いはやはりこだわりな訳で、それを捨てるという事は自分を捨てるという意味になると思う。そのこだわりを持てない事に対してコンプレックスがある人間が「そんなに熱くなるなよ」「バカじゃねーの?」って態度を取るのがカッコいい時代が数年前まであった。が、今の世代はさらに進んでそれもどうでも良くって「いいんじゃないの?興味ないけど」みたいな世代が増えてきたと思う。これだけ混沌としたジャンル分けの世界になってくると、信念を理解してもらうのも難しい時代になってきたと思う。そして他人の信念に興味がなく、ただ楽しく生きてりゃ何でもいいや的な人間が増えてきた気もする。


そういいながらも、ヤンキーだけは多くの世代からもバカにされる!!「え?ヤンキー?」なんて軽いからかいやツッコミは中高校生の日常会話の中に織り込まれている。

ヤンキーと言われてイヤな理由はコレだろう。

・時代遅れ
・気張り過ぎ
・ファッションがダサい
・頭が悪そう
・センスがなく単にハデ

そういう意味で言っている方も、バカにしながら言うのだから当然そうと言えばそうだろう。

という事はヤンキーという言葉はすでにジャンルを分けた言葉ではなくなっているという事か。
「リーゼントパーマで赤のカーデガンに、スウェット上下に女モンのサンダル」でなくても、「ハデ、バカ、気張り過ぎ、時代遅れ」のどれかが当てハマればヤンキーと呼ばれる枠に入るのだろう。

かっこよく手入れされたマユゲはアリだが、下手に細くしすぎると「ヤンキー?」。髪をアッシュに染めるのはアリだが、メッシュを失敗すると「ヤンキー?」。ボサボサ頭で寝巻きでコンビニ行くと「ヤンキー?」。ビッグスクーターの改造の仕方を間違うと「ヤンキー?」。『E.YAZAWA』のタオルを首からかけると「ヤンキー?」いやこれは流石にヤンキーだわ…。

結局今回の日記で何を言わんとするのかは、ヤンキーでも何でも良くって、若い時に人間のイヤな面を見て「ダークサイド」に惹かれるのは頭が良く好奇心旺盛な人間ならごく自然な行為な訳で、それの表現方法のひとつとしてヤンキーがあり、時代遅れでもあるし、その体系を複雑に変化させながら多様化した為に、クラッシックヤンキーの事を、その他の流行派不良がバカにする風潮ができて、さらにネットという匿名性の高い場で安全性が確保されたヲタク共がバカにするのに最適な相手となった訳だろう。

昨日の日記にも書いたけど表現方法というのはこれだけ大事だという事だ。志は一緒なのに「ヤンキー」なだけで区別される。伝えたいモノがあっても、嫌悪感を抱かれたら聞いてもらえない。今、ヤンキーという言葉は「ダサい」と言う言葉と類義語になりつつある。ダサい人間の言う事に耳を傾ける人間は少ない。羨望の的であればあるほど人と言うのは聞く耳を持つ。

美意識という面では男性であっても「ナルシスト」くらいが普通という意識もある現代において、そうではない野暮な人間を蔑視しても仕方はないかもしれない。

昨日の日記より総合しての結論は志としてはどんなモノを持とうが自分のコダワリをとことん通せばいい。むしろそれがカッコイイと思う。しかし、それを誰かに伝えたり分かってもらうためには大衆ウケする表現方法でしかも分かりやすい必要があるという事。達人であればあるほど、難しい言葉や、ややこしい機械、高い器具を使わなくても、自分を表現できるのだろう。
だが、まずその域に達するまでに、難しい言葉、ややこしい機械、高い器具は必須だとは思う。「シンプルイズベスト」これは達人の域に達した人のみ扱える言葉なのかも知れない。法律違反を斡旋する訳ではないが、人生において「法律」や「道徳」の基準がそれほど重要ではないと平気だと思えるくらいのもっと大きな自分の志を持てる人間の中にこそ、その達人の域に達する事ができる人間が多く潜んでいると思う。だから「悪ガキ」である事はそれだけでバカにされる事ではない。

色々と言いながら、元ヤンの私としては、ヤンキーという言葉は嫌いじゃない(笑
でも「ヤンキー先生」「ヤンキー社長」とかいう名前をマスコミにつけらえた日にはセンスがないからせめて「モンキー社長」に変えてくれとお願いすると思う…。

写真1:暴走族時代
写真2:まだ10代(笑
写真3:メンズ(ホスト)時代、ウチの店のNo.1テン(女装やけど男ね)と。
<参照:テンのページ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=5724274>
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