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2007年07月13日01:14

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集団自決と教科書検定

最近、ドラえもんやら、仮面ライダーやらウルトラセブンやら
懐古お子様日記が多いんちゃーうんか?とご指摘もまま有り、
参院選告示のこの日にタマに硬いものでも書いてみようと思う
でもショーガない。自称、少年のココロに大人の沈着冷静な(笑)
眼を持つ男が書いているのだから、、(※一部にお子チャマのワガママな心と大人のイヤラシイよこしまな視線を持つ男との揶揄も甘んじてお受け致しまつw) でもコレはオカシイ。

【集団自決と教科書検定】(元記事/西日本新聞7/11)
>>http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5020/
【以下記事より引用】
▽太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍上陸の恐怖の下、住民が家族同士で殺し合う集団自決が県内各地で起きた。
生き残りの住民や沖縄の歴史学者らは「日本軍の強制や軍民共生共死の思想、皇民化教育が悲劇を生んだ」と指摘しているが、文部科学省は教科書検定で、軍の強制を「誤解するおそれのある表現」として修正させた。▽

何故、文科省は教科書の事実を修正させようとするのだろう?
事実を目の当たりにした生き証人が何の利害も無くそう証言しているにも関わらずである。
なぜなら教科書の著作権は文科省が持っているからであり、
削除されたそれは文科省や他のお役人さんに不都合な事実だからである。では、何故今の文科省は旧日本軍を庇いだてするのか?わがmymixiひげだるまさんの言を借りれば『「日本軍」は日本国民の生命・財産を守らない。 軍隊の正体は役所なのだ。』と云う。ワタシも全く同感でそう思う。日本は戦前戦後を通じて官僚制国家であり、戦前は「立憲君主官僚制民主主義」で戦後はただの「官僚制民主主義」に過ぎないと思っている。日本における軍隊とは、戦前は「陸軍省」「海軍省」のお役所であり、現在は「防衛省」と言う名のお役所である。
そして、お仲間の文科省が不都合な事実を尻拭いし、証拠隠滅に手を貸すのは理の当然なのかも知れない。ワタシは大東亜戦争やその他亜細亜の事変の殆どはこの『軍部』と教科書中に表記されるお役人さんたちがしでかした「暴走」だと思っている。一人の馬鹿を紹介しよう。
フォト
名を『牟田口廉也』と云う。旧日本陸軍中将で、インパール作戦が歴史の教科書に詳しく載っていないこと、また彼の名が歴史の教科書に載っていないことから、彼の存在を知るものが少ないが、今日における評価は非常に低い。木村兵太郎や富永恭次と同じく東条英機に重用され、いわゆる三奸四愚と並んで東条の腹心の部下の一人であったが、インパール作戦における様々な行動は批判されることが多い。 また、当時の大日本帝国陸軍の将官の評価の際にはその全体的なレベルの低さを示す人物として杉山元、富永恭次等と共に真っ先に名前が挙がることの多い人物である。昭和12年(1937年)盧溝橋事件で中国側への攻撃を「支那軍カ二回迄モ射撃スルハ純然タル敵対行為ナリ 断乎戦闘ヲ開始シテ可ナリ」(支那駐屯歩兵第一連隊戦闘詳報)として独断で許可し、日中戦争の端緒を作り出した。盧溝橋事件後の会合に負傷していない腕を包帯で吊って出席した、というエピソードもある。このシトはこのようなエピソードの枚挙に暇が無い「うすらバカ役人軍人」の大スターであり代表選手とも言えるおシトである。なんたってこの日本をあの戦争のズンドコに引きずり込んどいて負傷のフリする卑怯漢ぶりなのですからwしかし、何といってもこのシトと云えば、後の世に『牟田口廉也は人でナシ!』と言わしめた『インパール作戦』であり、日本陸軍を崩壊せしめた大作戦である。
「インパール作戦」とは、、ジャングルと2000m級の山岳が連なる地帯で補給を軽視した作戦を牟田口が立案した。当初、上部軍である南方軍司令官や自軍の参謀、隷下師団は補給が不可能という理由でほぼ全員が反対した。しかし、牟田口は「イギリス軍は弱い、必ず退却する」と強硬に主張、やがて南方軍も大本営も作戦を承認することになった。しかし、危惧通り作戦が頓挫した後も強行・継続し、反対する前線の師団長を途中で次々に更迭した。その後、牟田口は作戦が敗色濃厚と知るや、15軍の撤退を待たず「北方撤退路の視察」を名目に敵前逃亡した。跡に残ったのは日本兵の死屍累々たるいわゆる『白骨街道』だけだったと云う。その後この男は終戦後戦犯容疑で逮捕されるが、作戦失敗で日本軍の甚大な損害を招き、英軍の作戦遂行をむしろ容易にしただけであったため、不起訴処分となって釈放された。つまり、「英軍に味方した」お陰として無罪放免になっているのだ!あまりの馬鹿さがラッキーしたのか?
戦後は東京都調布市で余生を送るが、インパール作戦失敗の責任を問われると、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と牟田口は頑なに自説を曲げずに自己弁護に終始した。部下の葬儀に際してインパール作戦で自身に責任がなかった旨を強調する冊子を配布した話が伝わる。さらにラジオやテレビ、雑誌などで機会さえあれば同様の強調を繰り返していた。1966年死去。なお兵士たちへの謝罪の言葉は死ぬまで無かった。その後枚挙に暇が無い逸話の中から幾つか、、orz

▽インパール作戦が敗色濃厚となり部下(参謀の藤原岩市といわれる)に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した時に、部下から「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私に切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、 黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります。」と言われたが、結局自決することはなかった。

▽前線では補給不足で苦戦が続くなかで司令部に清明荘という料亭と芸者を随伴させ、遊興に耽っていた。しかも、作戦中も毎日5時を過ぎると自宅へ帰り、そこで浴衣に着替えて料亭へ出向く生活ぶりは英軍に筒抜けであった。英軍はこれを前線でスピーカーを通じて流したため日本軍将兵の士気を著しく下げた。また当時このような歌も流行った。「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に新聞ジャーナリスト」。

▽将兵からは「馬鹿な大将、敵より怖い」と罵られ、「鬼畜の牟田口」「立案の無茶口」などと呼ばれていたと伝わる。

▽敗色濃厚と見るや司令部の裏手に祭壇を築き、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願の祝詞をあげていた。
「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも自身は自決することなく余生をまっとうした。

故人の名誉に関わるが、日本軍史上、現代に至るまでこれほど酷評され、擁護する人間がいないのは、将官、将校では稀有な存在であるといえる。繰り返す。軍人の多くは役人であり、戦争はファシズムや下手なパトリオティズムによって起こるに非ず。このよーな馬鹿役人の暴走によって起こる場合もありえるという見本である。寧ろ日本の戦争は その可能性が多いようにさえわらしには思える。社保庁や厚労省薬害問題等の例を引くまでも無く今も霞ヶ関のどこかで牟田口級バカが産声をあげているのかも知れない。そして、その役人の手が、後10年もすればこの世からいなくなってしまう存命中の貴重な生き証人の声を、口を塞ぎ証拠隠滅をはかっている。コレはそーゆー話なのである。

>>http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=262642&media_id=2









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