まずは新聞の一説から読んでもらってまた例によって後で感想を書いてみたい。
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【論説】 「『盗んだバイクで〜』 尾崎豊の歌、最近の若者は受け入れず…体制や大人への反抗心はどこへ?」…朝日新聞
シンガー・ソングライターの尾崎豊が亡くなって25日で15年を迎える。若い世代の反抗と苦悩を描き、いかに生きるべきかを探し続けた歌は、いまや教科書にも登場する。「若者たちの教祖」「10代の代弁者」といった従来のイメージから変化が見られる一方、肝心の若者たちの心にその歌は届いているのだろうか。
彼の歌がわたしたちの胸を打つのは、彼が自分について問い続けたからだろう―。教育出版が発行する高校の倫理教科書に、「僕が僕であるために」「永遠の胸」などの歌詞の一節ととに、尾崎はそう紹介されている。
〈盗んだバイクで走り出す〉(「15の夜」)
〈夜の校舎 窓ガラス壊してまわった〉(「卒業」)。
社会へのいらだちを過激につづった歌詞は教育現場にそぐわないように見えるが、意外にも「現場の教師から、自己の生き方を模索する代表例と勧められた」と教育出版の担当者は言う。
教科書の監修に携わった大阪の府立高校教諭、堀一人さん(53)は「反抗の歌と思われるがテーマはむしろ他者との関係の中でのアイデンティティーの問題だ」と話す。
〈人は誰も縛られたかよわき小羊ならば 先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか〉。窓ガラスを壊す一節が注目されがちな「卒業」だが、学校や教師との単純な対立軸に回収しきれない戸惑いこそがこの曲の魅力を作り出している。
尾崎の歌が、いくつかの倫理の教科書に登場したのは03年。堀さんはその少し前から、積極的に尾崎の考え方を授業で採り上げてきたが、最近は減らしている。「彼の歌に生徒たちが実感を持てなくなってきた」のが理由だ。
「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と精神科医の香山リカさん(46)も言う。2000年ごろから大学の授業で「卒業」などを聴かせている。最近は否定的な感想が目立つ。「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」。体制や大人に反抗するのはいかがなものかという声だ。香山さんは「成長プロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と首をかしげる。
http://www.asahi.com/komimi/TKY200704190202.html
どんな価値観の変化があるのか。香山さんは「反発したり、知りすぎたりすると損をする。損得勘定が判断の基準になっている」と分析する。他者や社会との関係で揺れ、傷つく姿を歌ってきた尾崎の歌とは対照的な考え方。彼の実人生に対しては、こんな感想さえあった。「容姿にも才能にも恵まれているのに変に反抗して、早く死んだのはバカだ」
学校や親への反抗、自分という存在についての不安。尾崎が歌ってきたのは、若者にとって普遍と思われるテーマだったはずなのに、嫌悪にも似た反感が生じている。
尾崎の生涯を描いた著書がある作家吉岡忍さん(58)は「彼の歌は、内面に深く食い込んできて、いまの若い人にとって触ってほしくないところに及ぶ。現状に適応してトラブルなく日々を過ごすことに価値を置くと、そこに気づきたくないのだろう」と語る。
身近な人間関係に敏感過ぎるほど敏感といわれる現在の若者たちにとって、〈友達にさえ強がって見せた 時には誰かを傷つけても〉(「卒業」)と歌う尾崎は余りにも重すぎるのだろうか。それでも、その影響は消えたわけではない。
96年発売のベスト盤は約170万枚売り、いまなお年10万枚程度売れ続けている。ミスター・チルドレンらが参加したトリビュート盤(04年)の影響もあってか、10代のファンも
増えてはいるという。
いま尾崎を聴くことの意味は何だろう。吉岡さんは「メッセージをそのまま受け入れる必要はない」と言う。そのうえで、何げない日常の、ある情景を鮮やかに切り取り、世の中を違った風に見せた彼の「手法」を高く評価する。
「漠然と状況に流され、追従するのでなく、自分とその周りの社会や世界を見るために、彼の手法の大切さは感じてもらいたい」(以上、一部略)
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と、まぁこんな事が書かれていた。
僕らの時代の尾崎ファンはかなり強烈なファンが多く、軽はずみに文句を言うと、一触即発の状態によくなったもんやった。
僕は歌は好きだけど、そんなにファンじゃない。だから覚醒剤を常用して死んだ時も、正直アホやなと思った。そういう意味では最近の子供と同意見だ。歌詞に感動を覚える友達がかなりの数いたけど、当時、僕は歌詞でもあまり感動しなかったし、今でも「そういう気持ち分かる気がする」という程度だ。こんな事をいうと非国民扱いされるかも知れないけど「尾崎豊」「グレイ」「久保田トシノブ」とかあまり好きじゃなかった。今で言えば「エグザイル」他、流行の似たような音楽も好きではない。カラオケで「歌うとモテる曲」は、信念を曲げて「女の子にウケる」が第一やったですが…(笑。
「アナーキズム」は「若さが故の甘え」だけではないと思う。若い時って、言動に理由が無い事もたくさんあった。カッコイイかどうかが一番重要で、認められるとか、許してもらうとか関係が無かった気がする。
だいぶ焦点がズレたので上記の話題に戻していこう。
最近の子供には反骨精神がないという事だろうか?
「成長プロセスにおける仮想敵だったはずの親や先生の善意を屈託なく信じている」と書いてあったが、素直にそのままであれば、それは望ましい結果なのではないだろうか。
しかし、心配はそこではない。信頼関係のある間柄であれば必ずそこに甘えが生じ、自分をさらけ出す可能性が高い。つまりはある意味では親兄弟、友達にさえ、本気で心を許していない可能性があるもとれる。良く言えば、お互いのプライバシーを侵害しない付き合いをするタイプが多いという事か。親がプライバシーを守り過ぎるんやろうね。子供に、そこまで気を使う必要があるんやろうか?
最近の親は、昔みたいに理不尽な理由で叱ったり、自分が親である事を必要以上に誇示したりしないのも理由のひとつだろう。親というより友達感覚でいたいと思う親が増えたのだろう。その結果、親を恨んだりする必要がなくなったとも考えられる。
僕の場合は箸の持ち方が悪かったらメシは食わしてもらえないし、食事中にTVがついていたら、たとえ見ていなくても叩かれた。「ながら」は物事に集中しなくなるので良くないとの考えだ。TV見ながらボケっとして口が開いてしまったりしたら、本気でぶったたかれた。「アホみたいなマネするな」と。
その他にも当時は全くイジメとしか取れなかったような仕打ちがたくさんあった。当然、当時は絶対に親父はいつか殺す!と思ったし、実行しかけた事も何度かある。しかし、今ではその厳しさに感謝する面は多い。
若かりし頃に、親や教師やその他の権力に反抗するのはいくつか理由があると思う。
�|韻砲佞兇韻燭ぁ�
�△匹鵑瞥�由であれ自分の行動に制限をつけられるのがウザい。
��すでにある権力を持ってして、未熟な自分は何もできないと思われるのがシャク。
�ぜ�分より目上で、従うべき立場にいる人は、神様のように何でも正しくてパーフェクトでないと従う気がしない。
�ダい涼罎留�い所を知って、生きたくなくなる。
これが最近の子供になってくると
�,佞兇韻覆�ても、自己主張はできる事を知っているし、目立つのはそんなに好きじゃない。
�∈能蕕�らそんなに制限されてない。
��自分はそんなに大したもんじゃない子供だと自覚している。
�ぢ膺佑鬚修鵑覆貌段婿襪靴討い覆ぁ�自分も大きくなったら大人になるという年月の違いでしかとらえていない。
�ゥ縫紂璽垢箸�で幼い時から汚い事は知っている。
こんな感じじゃないだろうか。
さっき書いていて思ったんやけど「�ぢ膺佑鬚修鵑覆貌段婿襪靴討い覆ぁ�」これが最大の理由の気がする。
僕らの時は「大人」と「子供」の境界線みたいなのがあって、「早く”大人”になりたい」とか、「”大人”は汚い」とか、かなり区別してた気がする。今は「”大人”が”子供”過ぎて」なのか、境目が薄い。ポイントはそこだ!!
それがいい事なのか、悪い事なのかはまだ分からない。単に「ミニスカート→ロングスカート→ミニスカート→ロングスカート」の法則の一環なのかも知れない。10年周期、100年周期で色んな事がプラス方向からマイナス方向、マイナス方向からプラス方向に移行する。当然、その振れ幅とか周期は一定じゃなくってカオスなのかも知れんけど単純に見れば「歴史は繰り返す」という事なんやろうね。
そういう子供が親になったら次は結構大きな差が出そう。
さらにその方向に進んだ子供と、それを反面教師にした子供との間には大きな差が生まれると思う。多様化というんやろうか、そうなったら今みたいに多数決とかの採決方式は廃止になるかも知れん。少数派閥でも論破した方の意見を取るとか、やり方はわからんけどね。まあ僕の持論では多数決は民主主義の基本ではなく、正義に欠けるとは前から思いよったけどね。
しかし、この予測が正しいとしても、その頃には僕の年齢以上の人はおじいちゃん、おばあちゃんな訳で、誰も覚えてないやろうし、自分も忘れてるかも知れん。その前に僕、長生きしそうじゃないけど(笑
とりあえず、予測うんぬんはさておき、チャレンジ精神、現実を知った上での度胸、根性、忍耐力のある人が日本に増えればうれしいです。
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