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いつもながらですが、実際に、何か悪い事をして嫌われてるとか、そういうの全然ないです。脳内に流れる漠然としたイメージの中の言葉なんで、実際に何かがあった訳ではないので誤解しないで下さい。
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生き甲斐って何やろうか?人によってそれは千差万別やと思う。
生き甲斐が他人に迷惑をかけてしまう事を含んでいる人は非常に息苦しいと思うが、それがその人の人生そのものなのであれば死なないと直らないかもしれない。私もそういう危ない分子持ってる気がする。
それを一方的に非道いと非難するのが普通の一般社会なのであろうが、一概にそれを悪行だと決定する権利が誰にあるのだろうか?
それを判断する物差しは現在の社会においては、法律、風習、道徳であろう。
法律の場合は正当性うんぬんでは無く、破れば罰せられる。これは正義とかそういうんじゃなくって過去の慣習からできた必ず守らないと個々の平和や国の繁栄が望めなくなる可能性が高い事柄で、相当な努力がないと変わらないシステム。
これと違い、風習、道徳的なところは、カゲグチを言われる。干される。無視される。などと、違反者にはその社会から直接的な被害を受ける。しかも大衆心理的には合っている間違っているは重要ではなく、みんながそう思っているからそうなのだ的な要素が大きいと思う。
だから正しい事を正しいんだとみんなの常識を覆す様な事を認めてもらう為には、チカラが必要。それは、勿論、自分の内面の精神力が一番、次に、信頼できる仲間が必要で、その仲間に自分を理解してもらう能力が必要、さらには、その仲間がさらに外へ理解を広める能力をつける事は必須。
今まで自分も日々精進し、一緒に生きて行きたい人間にもそれを強要してきた。しかし今のところ結果はむなしいもんしかない。そして今更ながら、そういう人間を作り上げるのは時間がいくらかかるんだろう。って思いだした。
こう書くとあたかも自分だけ偉いみたいに聞こえてしまうかもしれないけど、相手からも私にそうしてもらいたい事なので一方通行な話じゃない。
必要じゃない人が集団に1人いるだけで、それは人生を一緒に歩める集団としての厳しさを欠いてしまいそうなので、一番イヤだからビビってるのもあるのかな。
むーん、支離滅裂ですなー。
脳ミソの整理整頓っちゅうか、ひとりごとなんでほっといてください。
正しくを貫いて生きる為にはチカラが要ります。根性が要ります。仲間が要ります。でも、それにふさわしい人に限って、実は、いっぱい人がいる所が苦手なくせに、一人ぼっちはイヤな天邪鬼さん達が多いんじゃないかな?
普段は自分にも他人にも一見やさしいんだけど、本気になれば、自分にも他人にもかなり厳しい人と、ダラダラしたゲル状の液体の中でキラめく砂金を探したい気分です。
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