今朝はまた随分早くにめが醒めた。
昨日、マエダストア鮫店で購入したパンを頂き、がっつりと朝風呂に入った。
八戸発7時16 分、青い森鉄道青森行きに乗車。
車輛は青い森鉄道703系の2輛編成。
青い森鉄道に乗車するのも、2023年3月3日以来。
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発車を待っていたら、隣のホームに「11ぴきのねこのまち さんのへ」ラッピング701系が入線して来た。
三戸にも行ってみたい。
定刻に発車し、盛岡車両センター八戸派出所の横を走る。
キハ110の700番台、八戸線を走るレストラン列車「TOHOKU EMOTION」が留置されていた。
青い森鉄道は元は東北本線。
東北新幹線新青森開業により第三セクター化された。
この辺りは下北半島の根元を縦断するので、結構山がちである。
ペリーとは全く関係の無い下田の駅前に、駅前に謎のオブジェが見える。
雨がぱらついて来たが、直ぐに止んだ。
航空自衛隊と米軍の基地で名高い三沢に到着。
駅前はあまり賑やかでは無い。
三沢を出ると、小川原。
遠くに小川原湖が見える。
知識として知っていたが、小川原湖を現認したのは今日が初めて。
そして防雪林中を突っ切り8時1分、野辺地に到着。
跨線橋を渡り8時6分発大湊線大湊行きに乗車。
車輛はキハ100の2輛編成で、既に停車していた。
大湊線に乗車するのは2023年1月1日以来。
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3回目の乗車である。
キハ100の2人ボックス席に陣取る。
大湊線はJRの路線たが、青い森鉄道から分岐し、他のJR線とは接続していない。
これも整備新幹線たる東北新幹線の生んだ弊害である。
大湊線は下北半島を陸奥湾に沿って北上して行く。
時刻表の地図では、如何にも海沿いを走る路線の様に掲載されているが、防風林に遮られ、陸奥湾が見えない。
防風林から巨人の様にそびえ立つ、多数の風力発電のプロペラが、何とも不安感を与えて来る。
有戸を過ぎると、不意に視界が開け陸奥湾が展望出来る。
そしてまた、防風林に視界を遮る。
アニメ「クラナド」の聖地、陸奥横浜で野辺地行きと交換。
反対列車もキハ100で、置き換えが始まっているキハ100もここでは主力である。
9時2分、下北に到着。
下北で下車し、大湊へ走り去るキハ100を撮り鉄する。
そして、トヨタレンタカーむつ店へ。
今回、下北半島を旅するに辺り、路線バスではなかなか回りきれないと言う事実にレンタカーを借りる事とした。
手続きをして、9時20分頃に出発。
青森県で運転をするのは今回が初めて。
県道272号から国道338号でむつ市内を抜ける。
そして県道4号に入る。
急カーブの連続する山道を走る。
大分、奥まった所で硫黄の臭いが立ち込めて来た。
宇曽利湖が見え、三途の川を渡る太鼓橋が見えると、日本三大霊場の一つとされる恐山菩提寺に到着。
六地蔵が並ぶ。
時間は9時40分だが、かなり車が停まっている。
恐山菩提寺は、862年(貞観4年)に天台宗の僧円仁がこの地を訪れ、創建、死者の霊魂が集まる場所と信じられている。
昔々、まだ小学生の時分に「墓場の鬼太郎」で恐山が出て来たのを読んで以来、いつか来たいと思っていた。
そして、まなにゃーデックスさんも前々から恐山に行きたいと言っていたから、まなにゃーデックスさんと出逢って20年のメモリアルな年に、奮発に奮発を重ねてやって来た。
受付を済ませ総門を潜る。
今まで参拝して来た寺々とはまた違う雰囲気を纏っている。
参道を歩き、正面の地蔵殿を参拝。
そして、火山の噴石に覆われた岩場。
所謂「地獄巡り」へ。
宇曽利湖が見える。
奥の院不動明王を参拝。
本格的に地獄巡りに出る。
ごつごつした岩場に、ガスが噴出しこの世のものとは思えない。
八角堂にお参り。
地獄を巡る。
山門を抜け、本堂にお参り。
そして御朱印を頂く。
総門を出て、一件だけあるお土産屋に入ってみるが、浮世にある様なものは無く、
線香など、その手のものしか無かった。
11時過ぎ、恐山を後にする。
仏ヶ浦へ行くには県道4号から284号を通るルートが一番近いのだが、どちらも「険道」と揶揄される程酷い道らしいから、元来た道を戻る。
腹が空いたから、昨日マエダストア鮫店で購入したおにぎりを食べながらのドライブ。
国道338号大湊バイパスに入り、国道279号へと抜ける。
新出戸橋の手前で、何故かナビが旧道を指示する。
勝手の解らぬ土地ゆえにナビに従って進むと、何と下北交通大畑線、元国鉄大畑線の出戸川橋梁が残っていた。
橋梁は、今にもキハ85形気動車が走って来そうな位に、綺麗に保存されていた。
橋梁の下を潜り、大畑の集落へと入って行く。
そして、思い立って大畑線の終着、大畑駅の跡地へと行ってみた。
何と、駅舎はそのままの形で残っており、下北交通のバス待合室及び出札窓口として機能している様だった。
大畑まで来たのは、2001年の正月以来25年振りにもなる。
2000年の冬コミの後、夜行列車を乗り継ぎ青森で1泊。
そして廃止直前だった下北交通大畑線を乗りに来た。
冬コミの直後とあって、大畑線の接続する下北までの大湊線の車内は、コミケ帰りと思われる剛の者が多数見受けられた。
かく言う私も、乗馬ブーツにドイツ軍の革コートと言う出で立ちであった。
余りの懐かしさに、写真を撮りまくる。
車庫の中にはキハ85形気動車が動態保存されているらしい。
折角なので、駅舎の中にも入ってみた。
懐かしい出札窓口に、大畑線キハ85動態保存運転の一日会員募集の案内があった。
ホームにも出て、懐かしい大畑駅の駅名板も撮影した。
大畑線は、大間にあった大日本帝国陸軍津軽要塞の施設強化に伴い1937年(昭和12年)に大間線第1期線として下北-大畑間が着工され、1939年(昭和14年)に開業した。
しかし、第2期線たる大畑-大間も引き続いて建設が進められたが、大東亜戦争戦局悪化により1943年(昭和18年)12月に工事は中止された。
対岸の北海道でも軍事物資輸送の為に戸井線が建設されていたが、此方も中止されて仕舞った。
戦後、青函トンネルを建設する際に最も距離の近い戸井-大間が候補に選ばれ大間線も復活するかに見えたが、地質上の問題で津軽半島ルートに決定してからは完全に消えうせ、用地は国道279号に転用されて仕舞った。
その国道279号を、レンタカーで飛ばして行く。
海岸に沿って走るから眺めが良い。
大間線で走って見たかった。
むつ市を抜け風間浦村に入る。
室町時代から続く下風呂温泉郷を抜ける。
布海苔発祥の地である布海苔記念公園を通り下北半島の天辺、まぐろ一本釣りの町大間に入る。
下北半島を南に下がり佐井村に入る。
そして12時40分頃、佐井港に隣接する津軽海峡文化館アルサスに到着した。
仏ヶ浦海上観光の窓口で乗船手続きをする。
12時50分、ニューしもきた5号に乗車した。
13時、出港。
暫く進むと、願掛岩が見えて来る。
矢越岬に並ぶ二つの岩山で、右手の岩山が「男岩(男願掛け)」、左手の山が「女岩(女願掛け)」と呼ばれ、見方によっては男女が抱き合っているような姿であることから、縁結びの神さまが宿る岩と言われている。
長浜の海岸を過ぎ、仏ヶ浦の奇岩が見えて来た。
13時30分、仏ヶ浦に到着。
仏ヶ浦は、陸奥湾口の平舘海峡に面した峻険な海岸沿いに2キロメートル以上に亘り、奇異な形態の断崖・巨岩が連なる海蝕崖地形。
1500万年前に海底火山から噴出した火山灰が押し固められ、それが雨や波で削り取られて形成され他に類を見ない程である。
随分前に、青森県の物産展か何かで案内を見て、是非一度行ってみたいと思っていたが、念願が叶った。
船を降りて散策してみる。
仏ヶ浦は恐山の奥の院とも言われており、また、古くは仏宇陀と言われ浄土と重ねられる事も多い。
まなにゃーデックスさんが、岩場の隙間にタコがいたと言っていた。
更に、ウミウシだかアメフラシを見付けていた。
14時10分、佐井港に向けて出港。
14時40分、佐井港に到着。
津軽海峡文化館アルサスでスタンプを押し、土産物を物色する。
恐らく私の人生において、佐井村を訪れる事はもう無いだろうから、色々と購入する。
そして15時過ぎ、レンタカーで帰途に付く。
折角なので、本州最北端の大間崎に寄ろうかとも思ったが、微妙な時間だったのでスルーする。
大間町を抜けて風間浦村に入る。
行きに気になっていた布海苔記念公園に寄る。
草島の撮影をしてレンタカーを走らせる。
ナビは矢張り、大畑が近付くとバイパスから旧道へ指示を出す。
ナビに従い、旧道を走る。
時間に余裕が少ないので、大畑駅には寄らない。
そして出戸川で大畑線の出戸川橋梁を撮影する。
まなにゃーデックスさんが
「でも、旧道に行かなかったら鉄橋も駅も見られなかったから」
と言う。
それはその通りで、このナビは私の心も見通していたのかも知れない。
16時35分、レンタカーを返却する。
今回の運転距離は約147km。
大した距離では無い。
下北駅隣の観光案内所へ。
スタンプを押す。
そして下北駅で切符を購入するが、自販機では青森までしか購入出来なかった。
16時48分発の大湊行き快速「しもきた」が到着。
大湊線は行き止りの盲腸線なので、この列車が折り返し手来る。
そして17時7分、野辺地行きが到着。
かなり多数の乗客を乗せて、17時8分に発車。
既に辺りは暗く、駅メモを操作しながら今日の日記を書き溜める。
陸奥横浜で大湊行きと交換。
そして18時5分、野辺地に到着。
跨線橋を渡り18時9分発の青森行きを待つ。
案内放送が掛かり青い森鉄道701系「11ぴきのねこのまち」ラッピング列車の2輛編成による青森行きが到着。
それなりに混んでいたが、何とか座れた。
「11ぴきのねこのまち」だけあって、吊革もねこのまちだった。
トンネルに入った気配がしたから、陸奥湾に突出した夏泊半島の根元を通過したと知れた。
浅虫温泉に到着。
浅虫水族館と浅虫温泉が懐かしい。
青森には18時59分の到着。
跨線橋を渡り19時4分発の弘前行きに乗り換える。
701系の4輛編成で、後の方は空いていた。
新青森でかなり下車する。
新青森から先は、駅メモ的には初乗車の線区。
実際、乗車するのも恐らく2000年12月31日に青森へ向かう為に乗車して以来だろう。
その当時も、盛岡から花輪線に乗車し、大館から奥羽本線に乗り換えたから、もう真っ暗闇であった。
本日も真っ暗闇の中を走る。
鶴ヶ坂で青森行きと交換。
普通列車では無い車輛が通過して行った。
特急「つがる」のE751系でも無かったし、編成も短かったから「リゾートしらかみ」ではないかとおもった。
大釈迦を過ぎ、北常盤で奥羽本線を制覇し、同時に青森県も制覇した。
五能線との接続駅である川部を経て19時50分、弘前に到着。
青森からの料金を精算する。
東横INN弘前駅前の1312号にチェックイン。
20時15分、「津軽の郷土料理 九十九 -つくも- 弘前駅前店」にて晩飯。
昨日に引き続き、青森の旨い物を頂く。
先ずは馬赤身刺し。
イカメンチ、ブロッコリーとカブの温サラダ。
パイカ煮込み。
酒は、先ずはビールで喉を湿らし、「如空」純米銀ラベルを頂く。
しかし、十和田バラ焼き。
黒石つゆ焼きそば。
等を頼んだので、再びビールに。
黒石つゆ焼きそばは、太めで平たい太平麺と甘辛いソースが特徴の「黒石やきそば」を器に入れそばつゆをかけて、最後にたっぷりの揚げ玉とネギを盛りつけて提供される、黒石市の御当地メニュー。
美満寿と言う店が、学校帰りのおなかを空かした中高生に、冷めたやきそばに温かいそばつゆを掛けて食べさせていたのが始まりと言う。
十和田バラ焼きは、牛バラ肉と大量のタマネギを醤油ベースの甘辛いタレで炒め合わせる青森県十和田市の御当地メニュー。
「パイカ」は、豚バラ肉の周辺にある希少な軟骨付き肉の煮込みで、三沢市の御当地メニュー。
イカメンチは津軽地方の御当地メニューで、イカのゲソを料理したメンチカツ。
昨日の店が正統派な伝統的料理を出していたが、今日の店は御当地B級グルメに近い。
毛色が違っていて、なかなか楽しめた。
特に黒石つゆ焼きそばは一度食べてみたいと思っていたから感無量である。
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