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2026年09月02日20:35

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上皇さまの意向受け 将来の葬儀の規模大幅縮小へ

上皇さまの意向受け 将来の葬儀の規模大幅縮小へ

2026年9月2日 19:00

皇室

上皇さまの意向受け 将来の葬儀の規模大幅縮小へ | NHKニュース | 皇室 配信より

https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20260902de47735

上皇さまが生前退位の意向がにじむビデオメッセージを表されてからことしで10年となり、上皇ご夫妻は公の場にはほぼ出ることなく、穏やかな日々を過ごされています。

ことし93歳となる上皇さまは将来のご自身の葬儀について、国民生活への影響を少なくしたいという意向を、これまで宮内庁の幹部に伝えられています。

こうした意向を受けて、宮内庁は昭和天皇の際には準備を含め新宿御苑を2か月半閉鎖して行った、一般の告別式にあたる儀式を皇居・宮殿で行うことで、規模を大幅に縮小する方向で検討を進めていることが分かりました。

上皇さまは10年前の平成28年、生前退位の意向が強くにじむビデオメッセージを表し、3年後の平成31年に退位されました。

ことし93歳の誕生日を迎える上皇さまは、退位後公の場に出ることはほとんどなくなりましたが、体調に大きな問題はみられず、上皇后さまとともに穏やかな日々を過ごされているということです。

上皇ご夫妻は将来のご自身の葬儀について、皇室の伝統を踏まえつつ、国民生活への影響を少なくしたいという意向を、これまで宮内庁の幹部に伝えられていて、宮内庁はこれを受けて、昭和天皇の葬儀も踏まえながら、検討を進めてきました。

昭和天皇の葬儀の際には、皇室の儀式で、一般の告別式にあたる「葬場殿の儀」と、国が行う「大喪の礼」のため、新宿御苑を2か月半にわたって閉鎖するとともに、新たに総ひのき造りの建物を設置し、国内外からおよそ1万人が参列しました。

関係者によりますと、宮内庁はご夫妻の意向を受けて、「葬場殿の儀」について、皇居宮殿の「松の間」に「殿舎」を設け、宮殿の各部屋や廊下なども使って行う方向で調整が進められているということです。

宮内庁は宮殿への変更に伴い、参列者の数を2500人程度へと大幅に縮小する方向で、検討を進めています。

皇居内の宮殿で儀式が行われれば、国民生活への影響や必要な経費が大幅に減ることになるほか、参列者の安全確保も図りやすいということです。

また、昭和天皇の時に早朝から深夜まで続いた儀式については2日に分け、参列者や皇族方の負担を軽減することも検討されています。

こうした宮内庁の方針は、天皇陛下や秋篠宮さまも了承されていて、今後、国の儀式として行われる「大喪の礼」のあり方にも大きく影響する可能性があります。

宮内庁関係者の1人は、「これまで一貫して国民を思い続けてきた姿勢が表れていると思う」と話しています。

10年前に退位の意向にじむお気持ち
上皇さまは10年前の平成28年8月8日、ビデオメッセージで生前退位の意向が強くにじむお気持ちを表されました。

この中で、前立腺がんと心臓の手術を受けたことや、高齢による体力の低下について触れた上で、「これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」と述べられました。

続いて、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と語られました。

そして、「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる」と話され、生前退位への意向が強くにじむものとなりました。

また、ビデオメッセージの中では、天皇の終焉という言葉を使いながら、ご自身の葬儀に関しても触れられました。

喪儀に関連する行事と新しい時代に関わる行事が同時に進行すると、関係者や残される家族が非常に厳しい状況下に置かれると指摘し、「こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」と話されました。

退位後のお過ごしようは
上皇さまは退位したあとも上皇后さまとともに人々の幸せと社会の安寧を願いながら穏やかな日々を過ごされています。

公の場に出ることはほとんどなくなりましたが、国内外の出来事に目を向け、自然災害が起きた際には、報道を見て避難生活を続けている人々がいることに心を痛められています。

おととし、地震と豪雨で大きな被害を受けた能登半島や、ことし7月に発生した熊本地震など、被災地の状況や被災者の生活を案じられました。

また、国内外で新型コロナウイルスの感染が拡大した際には、人々の健康と日常生活に大きな影響を及ぼしていることを深く案じられました。

上皇さまが忘れてはならない4つの日としてあげられた終戦の日と、広島、長崎の原爆の日、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」、それに加えて、阪神・淡路大震災や東日本大震災の発生日には黙とうされています。

ことしに入ってからは、正月の新年一般参賀で皇居・宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちから祝賀を受けたほか、5月に神奈川県の葉山御用邸で静養した際には、御用邸の裏にある海岸を散策し、海岸を訪れた人たちと交流されました。

心臓の持病がある上皇さまは、薬による治療を受け、症状は比較的安定した状態で維持されていて、上皇后さまとともにお住まいがある赤坂御用地内を散策したり、筋力の低下を防ぐための運動を続けたりされています。

上皇さまは上皇后さまとともに、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻をはじめとした皇族方を見守りながら、穏やかに過ごされています。

上皇さまの強い意向
宮殿

関係者によりますと、宮内庁は検討を始めた当初上皇さまの「葬場殿の儀」を宮殿で行うことは考えていなかったということです。

宮内庁によりますと上皇さまは、上皇后さまとともに「葬場殿の儀」について多くの国民が利用している場所を長い間占有しないかなど国民生活への影響に留意する必要があると考えられているということです。

こうした考え方に沿って宮内庁は皇居の東御苑や赤坂御用地といった皇室用の用地を軸に検討を進めていました。

しかし、この検討は、上皇さまの強い意向で軌道修正されたといいます。

上皇さまは葬場をつくるために多くの樹木を伐採したりすることが無いかどうかなど、環境への影響にも留意する必要があると考えられていたということです。

また暑さ寒さに加え集中豪雨や竜巻など気象条件の急激な変化を非常に心配し、参列者の安全が確保できる場所を選んでほしいとも望まれていました。

こうした意向を受け、宮内庁も当初の方針を転換し、宮殿が最もふさわしいと考えるようになったということです。

歴代天皇の葬儀や陵は
皇室の葬儀は近代に入って整備が進められました。

明治天皇の葬儀では、一般の告別式にあたる「葬場殿の儀」がいまの明治神宮外苑で行われ、およそ10万坪の敷地に70棟余りの建物が設けられました。

皇居から葬場殿に向かう葬列は、5キロにのぼったということです。

大正15年には儀式の内容を定めた「皇室喪儀令」が公布されました。

公布の2か月後に崩御した大正天皇の葬儀はこれに基づいて行われ、新宿御苑で実施された「葬場殿の儀」には、およそ7000人が参列しました。

「皇室喪儀令」は戦後廃止され、昭和64年に崩御した昭和天皇の葬儀は、喪儀令を参考にしながら、皇室の伝統にのっとって行われました。

会場の新宿御苑が2か月半にわたって閉鎖されて総ひのき造りの葬場殿などが新たに設置され、皇室の行事の「葬場殿の儀」と国が行う「大喪の礼」が同じ日に行われて、国民や164か国の代表などおよそ1万人が参列しました。

「大喪の礼」が行われる際には、憲法が定める政教分離に反しないよう、葬場から鳥居や大真榊を撤去するなど、宗教性がないよう配慮されました。

昭和の際は社会に大きな影響

昭和天皇が闘病中から社会には自粛ムードが広がり、崩御のあとには、政府が哀悼の意を表するためとして、国民に対して黙とうなどの協力を呼びかけました。

昭和天皇は昭和63年9月に突然吐血し、その後100日余りにわたって続いた闘病中には秋祭りや運動会の中止や延期が相次ぐなど、自粛ムードが広がりました。

昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御したあと、政府は哀悼の意を表するためとして、弔旗を掲げることや歌舞音曲を伴う行事を差し控えること、それに、黙とうすることなどの協力を呼びかけました。

アーケードに掲げられていた「迎春」と書かれた看板がおろされたり、ネオンサインが消されたりしました。

また、商店街やデパートの売り場から年賀状や明るい色の服が撤去されたほか、営業を取りやめる店舗も相次ぎました。

テレビ放送の特別編成が続く中、レンタルビデオ店に多くの人が足を運びました。

専門家「上皇さまらしい」
象徴天皇制について研究している名古屋大学の河西秀哉教授は、上皇さまがご自身の葬儀による国民生活への影響を少なくしたいという意向を示され、宮内庁が検討を進めていることについて、「在位中から、国民生活への影響ということを大変気にされながらいろいろなことに取り組まれた上皇さまらしい。自分のことで国民に迷惑をかけたくない、多大な影響を与えたくないということだと思う」と話しました。

昭和天皇の崩御の際には、闘病中から社会に自粛ムードが広がりました。

皇太子だった上皇さまは当時、宮内庁長官に対し、過度の自粛を懸念する考えを伝えられています。

河西教授は、「当時、国民生活が非常に窮屈になっていったことや、経済が停滞したり、自粛しない人に対する批判が集まったりするのを上皇さまは見てきている。ご自身のときには、国民に迷惑をかけるようなことは避けて、最後まで国民統合の象徴としてあり、葬儀もそういう形でやりたいということがご希望としてはあるのではないか」と述べています。

そのうえで、「上皇さまもこういう風に送り出してほしいということを、メッセージとして出されているのだろうなと思う」と話しています。

【解説】葬場が皇居の宮殿になった背景は
Q.穏やかな日々を過ごされている上皇さま。今回の背景にあるお気持ちを改めて。

A.上皇さまは在位中から国民の安寧や幸せを祈り、思いを寄せることを大切にされてきました。

ご自身の葬儀による国民生活への影響を少なくしたいという意向もその延長にあると思います。

Q.葬場が皇居の宮殿になった背景は。

A.宮内庁は検討を始めた当初上皇さまの「葬場殿の儀」を宮殿で行うことは考えておらず、皇居の東御苑や赤坂御用地といった皇室用の用地を軸に検討を進めていました。

しかし上皇さまは葬場をつくるために多くの樹木を伐採したりすることが無いかどうかなど、環境への影響にも留意する必要があると考えられていたということです。

また暑さ寒さに加え集中豪雨や竜巻など気象条件の急激な変化を非常に心配し、参列者の安全が確保できる場所を選んでほしいとも望まれていました。

こうした意向を受け、宮内庁も当初の方針を転換し、宮殿が最もふさわしいと考えるようになったということです。

元側近は上皇さまは熟慮して決断されたことは貫徹されると話していて、今回の検討にもそうした強いお気持ちが反映されていると思います。

注目ワード
皇室

私のコメント : 令和8年9月2日、昭和天皇の葬儀の際は、皇室の儀式で、一般の告別式にあたる「葬場殿の儀」と、国が行う「大喪の礼」のため、新宿御苑を2か月半にわたって閉鎖するとともに、新たに総ひのき造りの建物を設置し、国内外からおよそ1万人が参列しました。関係者によりますと、宮内庁は、「葬場殿の儀」について、皇居宮殿の「松の間」に「殿舎」を設け、宮殿の各部屋や廊下なども使って行う方向で調整が進められているという。宮内庁は宮殿への変更に伴い、参列者を2500人程度へと大幅に縮小する方向で、検討を進めています。皇居内の宮殿で儀式が行われれば、生活への影響や必要な経費が大幅に減ることになるほか、安全確保も図りやすいという。

令和8年9月2日、山口県 生活安全課 藤井課長より、連絡が入り、今迄における、一連の経緯にかかり、私は、山口県 生活安全課 藤井課長と対談した。

令和8年9月7日、山口県 山口市 日本赤十字社 山口県支部 総務課 職員と私は、対談した。

令和8年9月7日、山口県 山口市 山口県立山口農業高等学校 事務長と私は、対談した。

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