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2026年08月25日09:19

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柴田勝豊 の雑感

秀吉はなぜ柴田勝家との決戦前に「勝家の養子」を寝返らせたのか?信孝も屈服した電撃作戦
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9b77b575ed5ea3b2b2829c5313cd60e034eb340f

秀吉に降伏した柴田勝豊という話。

>勝家に実子の権六が誕生
いわゆる柴田勝敏。実子かどうかはハッキリしないのだけれども、勝家と同じ権六の名を与えられているので、後継者だったのではないかと言われている。妻は滝川一益の娘とも織田信長の娘とも言われていて、折衷案にしても一益の娘を信長が養女にして嫁がせたという見方もある。どちらにしても有力な実家なわけで、やはり勝敏が嫡男だったのではないかなと。

>勝家の甥・佐久間盛政が重用されるようになり、勝豊の不満はいっそう強まった
付け加えると、盛政は勝家の養子の一人である勝政と実の兄弟。盛政の重用は、勝政の求心力強化→相対的に勝豊の存在感の低下を招いただろう。

ただでさえ存在感低下しているところに、冬の間は援軍が来れないことがわかっている飛び地に捨て駒のように配置。挙げ句に勝豊は重病を患っていたわけで、降伏もやむなしかなと思わないでもない。秀吉が真っ先に目をつけるのも当たり前だろう。

もっとも、そんなことは勝家だって分かっていたはずで、それでも敢えて勝豊を長浜に置いているのだから、何らかの意図はあったのかなと。

勝豊は降伏したものの病の悪化で指揮を取れる状態ではなく、賤ヶ岳においては家老に部隊指揮を任せていたのだけれども、この家老が佐久間盛政の調略を受けて柴田側に寝返り、盛政の奇襲に合流している。結局、この家老は羽柴方に討ち取られているし、勝豊もその前後に病死している。勝豊の降伏が いわゆる「苦肉の策」であったとしたら、なかなかドラマチックな話だよなと思わないでもない。

まぁ勝家はお人好しなところがあったので、普通に勝豊を信じてしまっただけなのかもしれないけれど、
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