豊臣家臣団の事務方・石田三成には前任者がいた…地味ながら一族を繁栄させ明治の男爵家までつなげた武将
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b18281580a0d68b8dde35a4143e78c9efb0d449
豊臣家の側近だった石川一族という話。ウィキペディアだと、改姓後の石河家の方で記事が作成されている。
>光元の側室・お亀の方
お亀の方が離縁された後に徳川家康に見初められ徳川義直を生み、その義直に召し出される形で石川(石河)家が命脈を繋いだエピソードで記事は終わる。お亀の方が離縁された理由というのが、光元の正室が男児を産んだためなのだけれども、この光元の正室が浅井井頼の娘と知って あぁなるほどと。
浅井井頼は浅井長政の次男か三男で、生母は不明。浅井滅亡時に寺に預けられていたため難を逃れ、於次丸秀勝→秀長→秀保→増田長盛と仕えたが、増田が関ケ原で没落すると諸国を転々とするようになって、姉である淀君のつてで大阪城に入り。大阪城が落城すると、今度は亡くなった姉・初の嫁ぎ先である京極家に転がり込み、そこで家臣として生涯を終えた みたいな人。
光元からすれば 主君である秀頼の従姉妹を正室に貰っているわけで、正室を立てるためであれば 側室の離縁も致し方なしだよなと。
>藤堂高虎の助命嘆願
徳川側から見ても、光元は「秀忠の正室である江の姪の旦那」になるわけで、高虎も気を回して助命に動いたのではないかなと。まぁ高虎にとっても井頼は秀長家臣団としての同輩だし、元の主君の忘れ形見ということになるので、その娘婿には多少の思い入れはあったかもしれない。
兄弟!。いちおう井頼が出てくる余地がないでもないけれど、これまでの流れを見る限り、そこまで手の込んだことをするとは思えないのだよなと。
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