HImaP&Σ 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年11月22日(金)日本時間、AM8:27、北海道紋別市。
善良な俺だから思うことかもしれません。
だけど、幸せな今はたまに思うことがある。
忌み嫌う悪行の仕事をしてる人の中でも根っからの性悪でなかった。
ある程度、金に余裕がつき、自由を手に入れ、性にも事欠かなかったら?
悪行に対して何も疑問にも思わず、悪行が快楽の人間でなければ。
その法外や悪事を擁護するわけじゃない。
だけども、人間って根っからの性悪は少ないような気がしてる。
信頼も仲間意識も何もなく、信じれる人も誰もいないなんて口では言ってたりする人ですら、やっぱり信用できる人を選び生きてることがあるはず。
誰も信じれないやつって本当に信じてないから徒党すら組めない、孤独が好きとかじゃない。孤独でしか生きられないはず。心が人を信用できず思考が雁字搦めだから。
俺は想像のイメージだけど。根っからの性悪は少ないってのは
悪事を生業にしてる汚れ仕事してても、金や自由をある程度手に入れた上層なら
クリーンに生きる日の当たる人間でいたらどうしてるか?なんてたまに感じるんじゃないだろうか?
だけど、結果この世の中は金が主導権を握る媒体だし、金が遊ぶ権利を生むから。結果として悪事の人生を選んでる人達もいるけど。
本当なら金も名誉もクリーンな仕事できる能力もあり、自由で遊べる人生で異性にも事欠かなかったら?
一人の異性と心底愛していれる人生だったら?
想像で考えるんだよ。
好きで悪事をやりたいと思う人って希だ。
快楽っての性にはあるけど。
金を稼げるなら実はなんでもよくて、自分自身の能力が付いてく高所得なら実は人間どんな仕事でもいいはず。
ただ、楽して稼げるから悪事を選びリスクを背負う。
リスクマネジメントをして悪事をしましょうって推奨してるわけじゃないよ。
悪事を生業にしてる人達が善良な心があるとしたら。
実は自由を手に入れたら悪事に執着心を持つだろうか?
悪癖があるなら、誰に対しても腹を立てたら執拗に意地悪をするような性質がなかったなら。
大抵は善良であって、大抵は実はクリーンに生きれたんではないだろうか?
などと想像するんだ。
幸せになれる感覚や物事には、きっと個人差がある。
大量に金を消費して豪遊しないと生きた心地がないような浪費家になってしまったら、それもまた息苦しいよね。
いや、逆にそれを永遠に続ける財力確保さえあれば最高とも言える。
人間はさ。根っからの性悪で存在自体が危険なやつって少ないと思う。
ただ、自由を手に入れたい幼児のわがままのように生きるための金を稼ぐために、仕方ない悪事の道に進んでしまった人間が多くいるような気がしてる。
人間関係に悩み、人間関係が悪いことで人生が嫌気をさして低収入で生きることにうんざりして、悪事の道を選んでしまっただけとか?
想像の範囲でそういう人達が多いようでさ。
だからって悪事を容認して黙認してるわけでもなくて。
なかったらない方がいいけど。でも少なからずそれらはそういう一定数人生にクリーンな社会に適応できない人間の最終地点の居場所のようでもあって。
ない方がいいけど、あるから人が助かることもあるのかもしれないんだよね。
大きく分類して無くても良いかもしれない。でも、人間が豊かに生きることはクリーンであることだけが全てでもないような気がするんだ。
それは善良な俺だからそう感じるのかもしれない。
悪事は悪事。悪即斬だって言う人達もいる。
だが、白黒はっきり付けれるだけの世の中でもないさ。
警察だって犯罪を冒す人もいる。やっぱり残念ながら完全に完璧なんて人間にはないからさ。
目指してそれに近い人はいるけど。どこかは欠点はある。
そう感じる今日この頃です。
絆っての善悪の基準あれど、人には誰でもあるもの。
そう思う。
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