赤染衛門の結婚相手は大江匡衡で、系図上は大江広元に繋がり、さらに安芸毛利などの戦国大名に繋がっていくのだけれども、では大江広元が赤染衛門の血を引いているかという、正直よくわからない。
広元は同じく十三人の一人だった中原親能と兄弟。広元も大江を名乗ったのは晩年で、それまでは中原を名乗っていた。実父が大江で養父が中原、実父が中原で養父が大江、両方のパターンの家系が伝えられていて、実父が中原だった場合は、赤染衛門とは血が繋がっていないことになる。
大江氏と源氏のつながりというと、匡房(匡衡と赤染衛門のひ孫)が、それまで武勇一辺倒だった八幡太郎義家に兵法を教えて、それによって義家は後三年を勝利した という伝承がある。
義家の伝承をそのままなぞる形で奥州征伐を行うなど、義家の子孫であることを権威付けに利用していた鎌倉幕府にしてみれば、大江氏はぜひとも欲しい存在だったはずで、中原だった広元が大江になったのは、その辺も関係しているのではないかなと思っている。
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