■安倍派還流、廃止決定後に撤回=22年、幹部が仕組み把握か
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2012年の第二次安倍政権発足後は、ほぼ安倍派のように思われていた清和会だけれども、建前上の領袖は町村→細田で、安倍が領袖だったのは21年11月〜22年7月の短い期間のみ。
21年11月に安倍が領袖になって、翌年すぐにキックバック廃止の方針が示されたのだけれども、間もなく撤回されている。改選を控える参議院議員は、ノルマ超過分ではなく売上全額をキックバックする慣例になっていて、22年はその改選に当たる年。資金を当てにしていた改選組から「いきなり無しとか言われても困る」と泣きつかれたのは容易に想像できる。
春には恒例のとおりに政治資金パーティーが行われて、参院改選組を中心にキックバックが行われ、その夏の参院選の応援演説中に銃撃を食らって安倍は死亡した。
安倍としてはキックバックの問題性は重々承知で、自分の代でコッソリやめさせるつもりだったのが、不慮の死で道半ばにして終わった みたいなところだろうか。この手の事案は時効まで短かったはずなので、止めさせて数年ほどすれば、全ては過去のことになるはずだった。
安倍がいつからキックバックを知っていたかは不明。さすがに「21年に領袖になってから初めて知った」なんてことはないと思うだけれども、それ以前から知っていたからといって、派閥の領袖ならざる安倍に止められたのかというと、それは難しいのではないかなと。
第二次安倍政権を経て、今でこそ清和会の顔みたいな印象のある安倍だけれども、その第二次政権に至る前の総裁選においては、当時の清和会の領袖だった町村信孝に反逆する形で出馬していて、最大実力者であった森喜朗からも出馬の断念を説得されていた。あのときの総裁選は、谷垣を裏切った石原伸晃が「平成の明智光秀」とか言われたけれど、それを言ったら安倍も裏切り者だった。
12年総裁選の際には、高市早苗が「領袖の町村ではなく安倍を応援するので、ケジメを付ける」と清和会を離脱している。その高市が未だに清和会の一部の議員から裏切り者扱いされていて、21年総裁選の際に安倍が支援を表明したのに、清和会として一致しての支援はできないままだったことを考えると、古株の連中の中には 腹の底では安倍アンチというのも結構いたのだろうと。
そんな状況の中で、いくら総理大臣様だからといって、派閥の外からキックバックを止めろと言っても無理なわけで、「いずれ総理を退いて、派閥の領袖になってからの課題」ということで長らく放置されることになったのではないかなと。まぁキックバックを主導していた側からすれば「恵まれた世襲議員の安倍には、カツカツで議員やってる連中の気持ちなんか分からない」ということになるのだろうけれど。
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