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2023年11月24日18:56

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秀忠の関ヶ原遅参 の雑感

「偉大なる凡庸」徳川秀忠が、家康に「関ヶ原遅参」を叱責された本当の理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/7035b94f2d3800badcb96e5791ef357e9c9168c6?page=1
>軍勢を揃えて西上するのなら良いが、道を急ぐあまり、軍勢をばらばらにして上ってくるとは何と愚かな
>東軍が関ヶ原で勝利したからよいものの、もし敗北でもしていたら、秀忠とその供回りの者たちは、西軍兵士たちによる掃討作戦や、土民たちによる落ち武者狩りの網にかかって命を落としてしまいかねない危険が大であった

徳川秀忠は、父・家康と同様に「吾妻鑑」の愛読者。承久の乱の際に、泰時が供回りだけで京都に向かって進撃したのがイメージにあったのかもなと。

もっとも承久の乱での泰時は、とにかく先手を取る必要があったし、執権の義時が鎌倉に控える形になっていたし、途中で軍勢が追いつくのを待っていた。関ヶ原の際の秀忠と同列に語るわけにはいかないだろうと。

まぁ榊原康政や大久保忠隣、譜代以外でも仙石秀久みたいなベテランが揃っていてのコレだったわけで、家康も頭を抱えただろうなと。秀久は「秀忠様に代わって自分が腹切って詫びる」とかやるのだけれども、割と本気で謝罪していたのかもしれない。家康の口利きで大名に復活したのに、その後継ぎに恥かかせてしまったのだから、その辺の譜代なんかよりも責任感じた可能性。
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