京都市民「はい論破www」延暦寺僧侶「くっそ負けた、こうなったら・・・」結果
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・法華宗(日蓮宗)は、京都で布教を行い、門徒町衆の組織化(一揆化)に成功。
・折しも一向衆が伸長していた時期。幕府は一向衆との戦いに法華宗を動員。
・法華宗の活躍もあり、一向衆の寺院を焼き払い、勢力を大幅に削ぐことに成功。
・この活躍により法華宗は特権を得て、京都で一定の自治権を得た。
・法華宗の伸長を、他の仏教諸派が面白かろうはずもなく、緊張状態となった。
・緊張状態が続くなか、比叡山僧侶が法華宗門徒に論破され、袈裟を引っ剥がされる事案が発生。
・叡山僧はリベンジを試みようとしたが、論破した町人は関東からの旅人で、すでに立ち去った後だった。
・面子を潰された形の叡山は、幕府に法華宗の禁教を訴えたが、幕府はこれを棄却。
・ニ度にわたって面子を潰された叡山は、もはや後には引けず、武力による排除を決めた。
・武力衝突は、幕府の有力者であった六角定頼の参戦により、叡山側が大勝。寺院が焼き払われる。
・ここにいたり幕府も法華宗を禁教にする
・しかし、今度は逆に六角定頼が法華宗側の肩を持つようになり、定頼の周旋により法華宗と叡山は和睦。禁教令も解かれた。
スレでは叡山を畜生扱いしているのだけれども、その前段階として法華宗も一向衆を攻撃しているわけで、因果が巡った感はある。
抜け目ない立ち回りで、一向衆も法華宗も叩き潰した六角定頼は 信長の野望でレギュラー大名となっている六角義賢の父。楽市楽座や 家臣団の城下への移住など、信長の先進的な政策と言われているものの一部は、実際には定頼が始めたもの。
追記:発端となった論破は、法華宗の町民が「阿弥陀仏は尊いか」という話をフックにして、法然の話に持ち込み、叡山僧から「法然は正しい」という言葉を引き出した上で、「叡山だってかつては法然は仏敵と言っていたはずだ」とやりこめた という流れらしい。論破の際に、スラスラと根拠となる文書を出してきていることを考えると、相当ディベート慣れしている感はある。
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