mixiユーザー(id:63530833)

2023年02月12日10:59

35 view

心地よく生きれる方法はどんなの?

HImaP&Σ 創始者 渡部学 わたなべまなぶ
2023/02/12 10:09

敵も千人、味方も千人
ことわざ という言葉に対して。
意味は2種類あるといいます。

一つは、要は二千人居るとして、敵も味方も千人ずつ仲間が居ることを指す意味。つまり互角であるってこと。同じ力の均衡という意味。

もう一つは、中立が千人だけ居るとして、千人いる中立の人間を、自分自身が味方にするか、敵にするか?自分自身次第でその千人がどうなるか変わるよってこと。
自分自身の生き方によって同じ数の人間が敵にも味方にもなるんだよ。って意味

だから、どっちの意味を使うかは人それぞれ。

わたなべまなぶは両方の意味を加味したことでこの敵も千人、味方も千人を公言してる。

自分自身のそのまま、あるがまま、わがままに自由に生きれば、結局は自分自身に都合が良い人間と都合悪い人間とが発生するのは仕方ない。それは相手も同じ。

今日の友は、明日の敵、今日の敵は、明日の味方ってことわざあるけど。

自由意思で生きてる我々は共感や反発は日々自分自身で変わる。だから状況や状態によっては変わることになる。

それが悪いか、良いかの話ではなく。仕方ない自然の法則のよう。

みんな自分自身に都合が良い人間関係で心地良い関係が整っていればいいけど。

自分自身の思想や意思に反した人間、邪魔な人間、不都合な人間に同感し協力はできないはず。

それは自然の摂理のこと。

悪い人が悪いわけではなく。生きる上でそうなってしまう人間も結局いるから仕方ない。

世の中には法律という規律があり、規律に違反したものを裁く刑罰はある。善悪の境界線は世界に共通してあるものだけど。

人として言えば、善悪の境界線はあってないもの。自分自身が生きたいように生きるのは万人が望むもの。自分自身が行為そのものが全て正しいと思うように、自分自身を肯定するのも、自分自身を否定的にみて改心するのも、それは自分自身を信じてるからできる自分自身の自由なわけでさ。

そういう根源的なことを言うと、すべての人が心地よく自由に生きたいのは当たり前の話

そう思う。

ここからは全く話題が変わります。

わたなべまなぶって昔から飲み物=水分摂取に関した意識と嗜好する執着が強い。ジュースや味のある飲料や水やお茶も含み。
水分補給というか、水分摂取の欲求が強い。

飲み物を飲んでる時が幸せで自我を止められない。

それは未知の領域での本来の自分自身の性質がそうさせるのか?
もしくは別人の誰かの性質が関与して影響してるから水分摂取量が多くなるのか?

それを識別できる能力はないけど。どうなんだろう?

昔から腎臓病を患い、水分摂取量には厳しい制限を課せられる人生。

現在もまた透析患者ゆえに水分制限を課せられる。だが、守っていなく大量に飲水するために、浮腫み顔になり、顔が変形したり、寝苦しい時も発生する。だが、透析治療でなんとか引ける状態で済んでるのが幸い。

健康な人間にはない悩みがある。

腎臓移植した後に腎臓が健康であった時期は本当に水分は凄くたくさん取る人間だった。

透析患者になっても水分摂取量はやっぱりかなり多く同じ透析患者より倍以上飲んでる。

喉の乾きや飲水したい欲求が抑えられない。

これは自分自身の本来の性質がそうさせてるのか?無論、自分自身が飲み物を飲んでる時の幸せや感覚的に飲んでる時が快感なのはある。

でも、感覚的に他人より凄く飲水したい欲が強い理由がもしかしたら

別人の人格や性格が渡部学に憑依して影響を受けてしまってるからそうなってるのか?

渡部学ではそこらへんの識別や判別が出来ない。

もし、別の人間の影響が絡んでるなら、それは自因自果となってる状態を別の人間の人格や性格が迷惑を渡部学にかけて邪魔してるからそうなってるのか?

それは全容がわからないけど。

水分摂取量を控えれる時もあってそういう時は自分自身の水分摂取の欲求もかなり自然と抑えられる。

体の中で何が起きてるから水分摂取の欲求があるのか?
それとも渡部学の意識自体が水分摂取の欲求を作ってるのか?

定かではない。

それに、病人だから制限を作られ、健康だと制限はないって概念がそもそも良くはないよね。

病人であろうが、健康な人であろうが病気が発生してしまう確率は実は変わらないのに。
不運な人生の人間が病気になるだけ。

でも、渡部学ってジュースや飲料を飲む、飲みたい欲求があまりにも強くてさ。

その欲求がどうして強いのか?全くわからない。

我慢や制御が効かない。それは別の人間の人格や性格が影響してるせいか?

それだとすると、被害者なのか?それとも幸運なのか?自分自身渡部学もまた飲み物を飲んでる時が感覚的に幸せなのは否定できないもの。

暴力的な人格や性格に翻弄されて渡部学は本来の人格や性格での温厚な状態が阻害されての暴力事件の刑罰被害を受けてる実情もあるし。

未知の領域行使する人達の謀であり、あやつり人形の人生。

幸いにも、不幸中の幸いであることがたくさんあるのも事実。

不幸の代償の補償があるのはいい。でも、本当は不幸の代償なんてない方がいい。

敵も千人、味方も千人。

今後はどうなるんでしょう。

あやつり人形の渡部学は敵を千人作ってしまうのも、味方を千人作っていけるのも全ては未知の領域行使できる最高権力ある有権者の謀かもしれないね。

おわり
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する