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2022年08月15日18:58

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比企能本 のメモ

比企能員の子で、母は不明。比企の乱当時はまだ2歳だったため母ともども助命され、そのまま出家コース。

伯父の伯耆上人に育てられたという話もあるのだけれども、伯耆上人=能本という説もある。詳しくは不明だが、とりあえず何らかの関係はあるのだろうと。

伯耆上人は証菩提寺の住持といわれている。証菩提寺は、岡崎義実の子で石橋山で討ち死にした佐奈田与一(※三与一の一人)を弔うために頼朝が建てた寺で、宗派は真言宗。能本を引き取った際、伯耆上人は京都の東寺にいたという話もあるのだけれども、東寺も真言宗。能本もおそらく真言宗として修行を積んだのだろうと。

能本は 後鳥羽の子で武闘派だった順徳に仕えるが、承久の乱での敗北で順徳ともども佐渡ヶ島送り。しかし、ほぼ同年代の姪である竹御所(頼家と若狭局の子で、四代将軍・藤原頼経の妻)の執り成しで鎌倉に帰還。

しかし、当時としては晩婚だった竹御所は御産で死去。能本は竹御所を弔うために、比企ゆかりの地に釈迦堂を建設し、その近くに屋敷を持つ。

それから約二十年後、当時としてはカルト扱いだった日蓮宗にドハマリした能本は、敷地に法華堂を建設し、屋敷ごと日蓮に献上し、そのまま教団施設化。これが紀行で紹介された「妙本寺」という流れらしい。なんだかなぁと思う。

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