そして麻生太郎氏による安倍氏への弔辞をニュースで読み、私の親友の死去した当時を思い返していた。
きっと、辛いだろう。
対立軸の元総理の辛さは分かるのに、私には近所の人達の気持ちが分からない。
近所の人達は、なぜ取るに足らない市井の私なんかに拘るんだろうか?。
30年も昔に親友を亡くしてから、友人を失くした悲しみについて号泣出来たのは、つい数年前の事だった。
大田区役所の議員控室フロアには私の嗚咽が響き、それから暫くして気付けば黒沼区議と大論争を繰り広げた対立軸のまだ年若い議員が、病気を理由に辞職していた。
黒沼区議と私と親友を結びつけたものは、3人が民青同盟員だったという、ただそれだけだった。
それぞれ生まれも育ちも違うが、日本共産党を支持するだけ充分に富裕層ではない人生を生きてきた。
これだけの経済格差という高い壁に隔たれているにも関わらず、
『親友を喪う悲しみ』
は人として共通し、共鳴し共感をする。
友人は居る、私を「親友だよ」と言ってくれた友人達もいる。
私は滅多に連絡を取り合う事もない友人達を悲しませない為にも、まだ生きていようと思う。
いま現在存命の私の友人達は、対立軸の家庭の子弟なのだ、軽々しく軽佻浮薄にも頻繁に顔を合わせて交流を持つべきでは無いだろう。
辛いので、テレビニュースは、あまり観ていない。
■動画視聴「つらい場合は離れて」=ストレス高める要因に―専門家呼び掛け・安倍元首相銃撃
(時事通信社 - 07月17日 07:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7037459
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