源希義
知略72武力67優雅37勇名47菩提66加護36無常60弓術62 貴種
源平合戦に登場する頼朝の唯一の同腹弟。いちおう頼朝のすぐ下の弟・義門も同腹の可能性があるものの、そちらは平治の乱の頃までに亡くなっている。同腹姉妹に一条能保の妻となった坊門姫。
1182年、頼朝の挙兵から2年が経過。頼朝は鎌倉から動いていなかったが、北陸の義仲をはじめ、畿内各地の源氏勢力や、西国の反平氏勢力の挙兵が相次いでいた状況。配流先の土佐で厳しい監視下にあった希義も、地元勢力の夜須行宗と共に挙兵を狙っていたが、それを察知した平家方によって討ち取られてしまう。
落ち延びて頼朝のもとに辿り着いた夜須行宗は、源頼政の孫・源有綱(※以仁王の挙兵の際に伊豆にいたため、難を逃れていた)を指揮官とする頼朝の土佐遠征軍の先導となり、平家勢力を討ち滅ぼし希義のかたきを討つ。その後は有綱と共に義経軍に合流し、平家討伐で功をあげて所領安堵されている。有綱は義経の婿となり命運を共にするようになり、義経の挙兵が失敗して逃走中に討ち取られた。
希義がどんな人物であったかは特に伝わっていないが、頼朝はなんだかんだいって身内を重んじる人間なので、同腹弟の希義が生きていれば、異腹弟の義経や範頼以上に重用されていただろう。
頼朝と希義の同腹姉妹・坊門姫は 頼朝が征夷大将軍になる前に亡くなった。その子、一条高能は従姉妹にあたる大姫の婿の候補となったが破談となり、大姫が亡くなった翌年に 高能も23歳の若さで亡くなった。坊門姫の孫同士が結婚して産まれた九条頼経は、その血筋から実朝死後に四代将軍となった。
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