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2022年06月19日04:53

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おそらく「鎌倉殿」には出てこない人・14

手塚光盛
知略49武力83優雅30勇名64菩提61加護53無常36弓術64

義仲に仕えた信濃の武士。斎藤実盛を討ち取ったこと、義仲と最期まで共あった四騎の一人だったことで有名な人。諏訪大社の下社の一族である金刺氏の出身。義仲を養育した中原兼遠も金刺一族であるという説もあるが、その兼遠の元に幼き日の義仲を送り届けたのが斎藤実盛。なんとも言えない因果が感じられる。

一族総出で義仲推しだったせいで、当然のごとく頼朝からは睨まれる。神事のために諏訪に一時戻っていて生き残った光盛の兄・金刺盛澄は、鎌倉方に捕縛されて処刑寸前だったが、梶原景時の取り直しで 頼朝の前で弓馬の技を披露。その見事さに感心した頼朝によって助命された という話が残っている。讒言のイメージが強い景時だけれども、取り成ししているエピソードは結構多い。

信濃はしばらくの間は比企氏が治めたが、比企氏が滅ぼされて以降は、北条得宗家が支配。諏訪大社のもう一方、上社を治める諏訪氏は得宗被官(御内人)に収まり、北条氏による尊崇を受けて全国に諏訪社を建立するに至る。

こうして北条氏と半ば一体化した諏訪氏は、鎌倉滅亡の際にも奮戦。さらに北条時行を推戴して中先代の乱を起こし、時行死後も南朝側として北朝側の守護・小笠原氏に抵抗した。

金刺氏も長きにわたって諏訪氏と行動を共にしていたが、徐々に隙間風が吹くようになり、最終的には上社と下社で争うようになる。

戦国時代。上社の内紛に付け込んで襲撃を仕掛けた金刺氏だったが、かえって逆襲に遭い下社は炎上し、一族の生き残りは甲斐の武田信虎の元へ逃走。信虎は金刺氏を立てて諏訪に侵攻するが、諏訪氏の抵抗にあい頓挫。そうこうしているうちに、甲斐国内の内紛に巻き込まれてしまい、金刺氏は滅亡した。諏訪氏も勝頼の家系は滅んだが、神職についた勝頼のおじの家系が残った。
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