天竜浜名湖鉄道の前身である二俣線が開通したのが昭和15年(1940)である。
掛川から新所原迄開通をしたのは、太平洋戦争の前に東海道線が破壊されてもバイパス
としての役割を持たせるための開通でした。それ以前のも遠州から美濃までを結ぶ鉄道
を敷く計画もあったという事らしいですが、実現には至りませんでしたね。
本日は夕方に雨になるという予報でしたが、昼過ぎには雨が降ってきました。外での
仕事を諦めて、町の文化会館の展示ギャラリーを見に行くことにしました。
大きく分けて3つのテーマが有りました。「勝手に天浜線を応援する会」が製作した
天浜線39駅のポスターです。沿線にある多数の高校の生徒たちが、モデルになって
39ある駅毎に,詩を書いて駅をバックにして大きなポスターを製作しました。ある駅は
青春の儚い恋の風景であり、ある駅は成人した女性が昔を想い浮かべる姿だったりします
テーマ二つ目は、天浜線の歴史について、二俣線以前に走っていた光明電鉄とういう電車の
線路を一部借用して二俣線が出来たこと。余り知られていない歴史も紹介されています。
もう一つの展示品は、旧駅名の看板。ホーロー引きの鉄板に「とうとうみもり」と書かれた駅のホームの柱に取り付けてあった看板も、上の部分は錆びています。駅名も現在は、
「えんしゅうもり」に名前が変わっています。京都が 琵琶湖が近い淡海だったのに対し
浜名湖は地震により遠州灘に繋がりましたが、奈良時代は「遠つ淡海」でしたから、
「とおつあわうみ」〜>「とおとうみ」に呼び名が変わりましたので、歴史に基づいた
呼び名であります。私個人的には「えんしゅうもり」よりも「とうとうみもり」の方が
好きですね。文化会館の前に2本の河津桜が満開になりましたが、生憎の雨天ですので
前日に撮影しておいた写真をアップします。
注)淡海は、真水の湖のことです。浜名湖はかつては真水の湖でしたが、大地震により、
今切れ口が崩れて、海水が入り込みましたので淡海ではなくなり、汽水湖ですね。
ログインしてコメントを確認・投稿する