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2022年01月31日23:59

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わげもん ―長崎通詞異聞— を見る

読者が選ぶ「2022冬楽しみなドラマ」ランキングを発表<1位〜20位>
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=6804358

まんもちゃんの今冬の夜のお楽しみは、「DCU」海上保安庁モノのドラマと
NHKの時代劇『 わげもん/和解者 —長崎通詞異聞— 』だったのだが、、、
どちらもスベったぽい、、、orzあせあせ(飛び散る汗)

アテクシの生まれ故郷は、長崎県島原半島。半島の中央にある活火山「雲仙岳」を
境にして半島の南部を現地の人々は「南目」、北部の方面を「北目」と
言い慣わしている。
アテクシの通った高校はコノ半島唯一の「普通高校」であり、昔は
進学校だった。
南目には、口之津、加津佐という町があり、戦国時代には、ルイス・フロイスや
オルガンチノらのバテレンが上陸し、布教の拠点を置いて活動した場所であり、
江戸時代出島が出来る以前までは長崎港というと、コノ場所のことを指していた。
明治・大正期〜戦前までは、対岸の三井三池港からの石炭を
上海に輸出する貨物船に水や食料の補給基地として海外の貨物船の
停泊港になっていた。

そういった歴史的国際港としての土地柄かコノ南目エリアからの通学生は
なべて、英語の成績が異常に良かったのだ。

一度その秘密を解き明かそうと南目から通う友人宅を訪ねたことがあった。
驚いたことに、明治生まれの日本語の標準語も喋れない(島原弁は喋れるw)
ババアが当時まだ存命で、しかもなお流暢な英語を話すのだ。
聞けば、幼少期に家の手伝いで、外国貨物船の船員に石鹼やお菓子などの
生活雑貨を売りに行かされ、異国の船員相手にカタコトの英語で
丁々発止と商売で渡り合っていたという。
その婆が孫たちに英語を教えていたのであった。

おっと、、話が本題から逸れた。
皆さんは、不思議に思われたことは無かったろうか?
幕末の日本。数百年の鎖国が続き、そこにいきなり黒船ペリーが来襲し、
英語を解しない人材しかいない幕府がいかに対応したかということを?

え?「三浦按針(ウイリアム・アダムス)」や「八重洲(ヤン・ヨーステン)」が
いただろう?もはや百年前の家光の時代に死んでます。
「ジョン・万次郎」がいただろうって?
いかんせん彼は英語はネイティブだったが、日本語が不自由だったのだ。
そもそも、彼は土佐の田舎の漁師だったが故、日本語を寺子屋レベルですら
学んだ経験もなく、米国漂流後現地で教育を受けた。
日本語の素養が足りなかったのだ。その上、土佐訛りも強く
英語の単語とちゃんぽんにして話すので殆ど人が意図を理解できなかったという。
だが、彼は日米和親条約締結の舞台裏でネイティブ・チェッカーとしての
機能は果たしたという。そのサポートを果たしたのが、長崎通詞「森山栄之助」である。

米国ペリー艦隊 ⇔ 英語・オランダ語 ⇔ 英語・オランダ語 ⇔ 江戸幕府
          バイリンガル通訳   バイリンガル長崎通詞

上記のような翻訳システムで条約交渉は行われていた。
上記の米国人バイリンガルと長崎通詞バイリンガルの間の齟齬を
ジョン万次郎がネイティブチェックして埋める感じだ。

幕末、既に多くのアメリカからの難破船漂着民が、非公式に長崎で
迎えの船が来るまで出島の収容所で拘留されていた。
森山らの新進気鋭のオランダ通詞らは、極秘裏にいち早く漂流アメリカ人から
ネイティブの英語を習い、着々と来るべき日に備えてきたのだった。

江戸時代、西洋への唯一の窓口となり、いわば国際都市として栄えた長崎。
出島に出入りし、オランダとの交易を、通訳として支えてきたオランダ通詞(つうじ)たちは、政治的な交渉にも立ち会い、情報収集にあたるプロフェッショナル集団だった。
有名な医師シーボルトをバイエルン王国からの密偵、ドイツのスパイであると
いち早く看破したのも彼らだった。
彼らはミュンヘン出身のシーボルトの妙なドイツ語訛りのオランダ語を
見逃さなかったのである。
彼ら、長崎通詞のことを現地長崎では
日本語、「和」に解釈するもの
『和解者/わげもん』と
人々は呼んでいた。

嘉永2年(1849)。ペリーの黒船来航まで、残すところ4年。オランダ以外の西洋列強、アメリカ、イギリスなど諸外国の影が年々色濃くなり、長崎は波乱の時代を迎えていた。通詞たちには「早急に英語を学べ!」の大号令が下される。そんな長崎に、名通詞・森山栄之助(もりやま えいのすけ)の英語塾で学ぶ多くの若者が輩出することになる。





後の世、明治期になり彼らの多くは、明治政府外国方、現在の外務省に
出仕したり、東大出の官僚やエリート留学生が育つまでの
日本の外交を陰で支えて行く。またあるものは、そのまま開港間もない
長崎や横浜、神戸などで英米との幕末から明治期の貿易交渉を担ってゆく。

ー 『 ばってん坊 』 ー



長崎を代表する方言の一つに「 バッテン! 」というのが
挙げられる。主として長崎、福岡、佐賀の北西九州から
熊本までほぼほぼ九州全土で使用される。
標準語になおすと、「が、しかし、、」とか「だけど、、」という
ニュアンスになるだろうか?

まんもちゃんがご幼少のみぎり、聞き分けのない、屁理屈コネた
ハナ垂らした頭のワルいガキが、ばってん、ばってん云ってると
「バッテン坊主」すなわち、ばってん坊と言われたもんだった。
勿論、まんもちゃんもその一人であったw

×点でも罰点でもない。

諸説あるが、バッテンとは、幕末の開国間もない長崎で英米人からの
無理難題のゴリ押しに苦慮した長崎通詞が、まず、NO!を述べ
苦心した挙句、驚異の二連接続詞で、but、、andなどと
「ですが、、しかし」のニュアンスをにじませようとした結果
編み出されたものだという説がある。
決して「Bad END」でわないが、NOから始まる以上
結果、ハッピーエンドでは終わらないが、そこに
一縷の望みを託したことばとも言える。

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