現実を目の当たりにすると、気持ちが沈む。
東大名誉教授の、教育学についての講座を受講して後、
(ああ、あのガキもやっぱ私と同類ん家のガキか…)
と気が塞ぐ。
更に、
(うちの子は紆余曲折経て社会に出たのに、あの同類ん家のガキはまだ路上で放置子のまま成人しやがってんのか…)
と気分が沈む。
同類の差を分けたのは、親世代の社会構造についての理解だったかも知れない。
私が宮台真司の著書に手を付けたのは、蒲田に越して来たばかりの四半世紀ほど前の事で、それは区立図書館の書架にあった。
その頃の私は新婚ほやほやで、いずれ生まれて来るであろう我が子の将来を案じ未来を模索していた時期だった。
経済学に興味なく(要するに『金儲けとは下賤な真似だ』という意識がまだ抜けない)、競争にも熱心にもなれず(学生時代には学内外でそこそこの生徒だったので、最早バカバカしくて社会に出てまで足の引っ張り合いなどヤル気も起きない)、この年齢にもなれば学歴など役には立たない(必要なのは資格証だ、知能と能力は資格証により証明される)と理解している。
ただ金銭を求めるだけならば知恵は要らないし資格も不要だ、強盗でも掻払いでも売春でも何でもすれば良い。
しかし私の求めるものは、一時の僅かばかりの泡銭では無かった。
私には学歴は無かったし運用するに足る資産もなく、時間だけが途方も無くあった。
そこで学生時代と同じく、本屋通い図書館通いが再開された。
僅かに四半世紀ほどの間に、宮台真司が何人もの学者や識者や文化人と共に朝生で吠える姿をテレビで観た(本気で途方もなくその人格の浅薄さにガッカリした)。
水掛け論と、論争の為の論争を、小学校入学前から眺めるにも飽き飽きしていて、しょーがねぇから最近では仕方なくYou Tube眺めている。
You Tubeを眺めるその合間に、東大名誉教授の講座を受講したのだが、社会階層の上位に立つ人の自由さを見て、私は
「あーゆー先生が学校にいたら、子供たちの間でイジメなんて起きないのに」
と感想を、講座が始まる前から同席していた区立矢口中学校で教鞭をとる現役教員に漏らしたのだった。
いや、どう考えても人件費的に無理だろー…。
なんか、地域自治体のド貧乏が悲しくなっちゃったんだよなー…。
やっぱり鬱症状だよな、これこの悲しい気持ちは…。
■共感率NO.1はナニ?人生で一番「勘違いしていたこと」選手権【生活編】
(ママスタジアム - 12月03日 22:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=176&from=diary&id=6764216
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