人は普通を愛し、普通じゃないことを無意識に恐れて生きている。
野生の世界でも、アルビノは群れから追われ、つまはじきにされると聞いたことがある。
見た目にしても、内面にしても、
「普通」ではないものを排除しようとするのは、自然な流れなのだろう。
心ない者や、心の未熟な子供が浴びせる「言葉の暴力」に悪意はないのだろう。
ウチの長男には「自閉症」という障がいがあった。
治療のため専門病院に何度となく訪れた。
下の子たちを放っておくわけにいかないので、連れて来院した。
意図があって連れていたのではない。ただ放っておくわけにいかなかったから。
下の子供たちは「健常者」。
健常者である下の子たちが、障がいを持つ子供たちと席を同じにすることがあった。
何を言うこともなく普通に接していた。
想像だが、いろんな人がいることを無意識に理解しているんだと思った。
わたしには一つの信念がある。
「子供を育てるのは子供でなくてはならない」
以前、ある母親にそのようなことを言ったら、
「バカじゃないの?親が育てなかったら責任はどうするのよ?」
そう言われたことがある。
もっともな意見で、上手く伝えることが出来なかったわたしに非があった。
戦後日本、産めよ育てよの時代、親は子供の面倒を見る余裕がなく、
長男長女に下の子供たちの面倒を見させていた。
意図したわけでなく、自然な流れで子供たちに責任感や倫理観が芽生えた。
そしてそれは受け継がれ、
「優しさ」を意識することなく、他者を受け入れることが出来た。
それが出来るから「人間」なのだろう。
親は見守るだけでいい。
もちろん見ているだけでなく、ここぞという時に力を与えればいいんだと思う。
もちろんそれで完璧というわけではないが、
愛は与えるだけでは身に付かず、身をもって経験してこそ価値があるんだと思う。
とは言っても、現代では難しいことも理解している。
自分の子供には、どうしても多大な期待を抱き、習い事などさせてしまいがちだが、
産まれてくれたことに心の底から喜び、感謝したあの時の気持ち。
生きていてさえいてくれれば幸せなんだという気持ちを、
忘れないようにしようと自分に言い聞かせている。
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(ウィズニュース - 07月31日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6611990
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