今朝も4時起床。
鳴り響くスマホに起こされた。
まだ寝ているまなにゃーさんを置いて、新潟4時56分発の快速村上行きに乗車する。
4時台の始発に乗車するのも久し振り。
まだ、辺りは闇の中。
東新潟を通過する辺りで、明かりが煌々と煌めいている。
新潟貨物ターミナルなんだろうと思う。
そして列車の刻む音の雰囲気で、阿賀野川を渡っている。
そう云う気配だけしか解らない。
5時19分、新発田着。
信越本線の、6時8分発新津行きの気動車GV-E400が停車している。
白新線の6時3分発、新潟行きに乗車。
夜も開けて朝日が町を照らす中を列車で走るのは気分が良い。
西新発田の駅前には、巨大なイオンモールがあった。
佐々木を出ると、海側に向かって新潟火力発電所の煙突が煙を吐く様子が、何本も見えた。
新潟東港からの専用線が合流して黒山に到着。
早通で列車交換。
新崎を出て、阿賀野川を渡る。
東新潟の背後には、朝、煌めく光だけを見た新潟貨物ターミナルが広がっている。
多数のコンテナ車に機関車が停泊しており、巨大なフォークリフトが所狭しと動いている。
6時39分、新潟に到着。
まなにゃーさんが待つ越後線のホームへ急ぐが、ポケットにスマホが無い。
さっきまでまなにゃーさんとLINEをしていたのに。
慌てて先程の列車に戻るが、既に折り返しの6時44分発村上行きとして、発車してしまっていた。
もう、どうしようも無いので駅員に、忘れ物センターに届ける。
そして、会社のスマホを使って検索してみたら、矢張り村上行きの車内にあるようだった。
https://twitter.com/sylvian3/status/1373039834055405568?s=19
7時33分の村上行きに乗車。
忘れ物センターに問い合わせても、村上駅でサルベージされたと云う答えがあった。
8時58分に、村上到着。
改札口で確認し、スマホが帰って来る。
次の新潟方面の列車は、9時53分の吉田行き。
時間がありすぎるから、駅前に出てみる。
村上は、1999年の冬コミ前日に来た。
駅前のローソンでコピー本を印刷。
待合室で製本していた。
そして、新宿行きの夜行快速「ムーンライトえちご」に乗車した。
私が大量にコピーしたローソンは、不動産屋に変身、建物の形だけがローソンの面影を残していた。
9時53分の吉田行きに乗車。
坂町の手前に、ターンテーブルが見えた。
胎内川を渡りクラレの工場から、専用線が伸びて来た。
線路も道床も、枯れ草に埋もれている。
最早、廃線となっているのだろう。
中条駅で専用線が広く分岐して行く様な感じだったが、広大な専用線の留置線の跡が、駅前広場になっていた。
西新発田でHB-E300系「海里 KAIRI」と交換。
是非、乗車してみたい。
新潟から越後線に入る。
信濃川を渡り白山に停車。
関屋で反対列車が遅れていた。
しかし、車内にいる4人組のオバハン連中の喧しい事。
呑み鉄でチューハイなど何本も開けているからテンションが高い。
非常に迷惑である。
寺尾で列車交換。
旧新潟色の115系だった。
内野では5分停車だから、待避して新潟方面行きの列車がやって来るのを撮り鉄しようと期待していたが、反対のホームに115系が停車していた。
駅の吉田側には新川を渡る鉄橋もあり、良いロケーションなだけに残念である。
巻でも4分停車。
理想的な形で新潟行きを狙えたのだが。
やって来た列車はE129系。
全く、今日はスマホ落としてから何かとついていない。
ようやく、4時間半遅れで吉田に到着。
もう、12時24分である。
まず、弥彦線東の三条行きが発車。
車輛はE127系。
続いて、越後線の柏崎行き。
ようやく、115系を撮影出来た。
しかし、余り良いロケーションではなかった。
先の巻、そして内野が悔やまれる。
弥彦行きは、12時36分発。
臨時列車であった。
車輛はE129系でかなりの混雑。
12時44分、弥彦に到着。
1999年12月以来。
おもてなし広場に移動し、遅めの昼食。
まなにゃーさんはカキフライ定食。
私は鮭いくら丼、そして、のっぺ。
酒は弥彦の「こしのはくせつ」
食事の後、おもてなし広場を散策してみたが。
一週間ずれてたら、ミコぴょんに会えたのか…
https://twitter.com/yahiko_kankoPR/status/1373058773225406465?s=09
お土産等を見てから、弥彦神社へと歩く。
途中に、立派な楠がある。
そうして、一の鳥居へ。
舞殿で、神楽の奉納があった。
暫し、演舞を見ている。
随神門では結婚式の撮影らしき事をやっていた。
お詣りの列に並び、ようやく本殿に参拝する。
弥彦神社は、中学生の時分からお詣りに来たかった神社。
中学生の時分に、何をトチ狂ったのか予定を立てた。
大阪から寝台特急「つるぎ」で新潟に行き、越後線から弥彦線と云うプラン。
学割の申請までしたのに、実行しなかった。
その後も、何度か計画を立てたが、実行せず。
1999年12月の冬コミ前日に弥彦までは来たが、時間が遅く弥彦神社には行けず終いであった。
思い立って36年、余りにも長い月日が流れてしまった。
御朱印を頂き、摂社・末社に参拝。
この、十柱神社は重要文化財だと云う。
参拝を済ませて、弥彦駅へと戻る。
駅前のタクシーが萌えている。
これも時代の流れなのだろうか。
次の列車は15時11分発の吉田行き。
駅に着いたら改札が始まった。
車輛はE127系。
吉田まではたったの二駅。
15時20分に到着。
湘南色の115系が停車しており、柏崎行きだと云う。
ここぞとばかりに撮り鉄をする。
是非、発車して行くシーンも撮影したいが、柏崎行きよりも先に、15時29分に東三条行きが発車して仕舞う。
何と云う悲しい現実だろうか。
東三条には15時48分の到着。
15時55分発の長岡行きに乗り換える。
車輛はE129系。
16時22分に長岡に到着。
上越線の水上行きは、16時34分発。
E129系の2輛編成が既に発車を待っている。
夕方の時間帯だからかなり混雑しており、遂にこのツアーで、ボックスシートを取る事が出来なかった。
発車まで少し時間があるから、駅弁買おうと思っていたのだが…
何処にも駅弁屋さんの姿がなかった。
ここで食べ物を買えなかったら、20時11分到着の長野まで、売店がありそうな駅は無い。
仕方がないので、コンビニで弁当と思ったが、それもほぼ絶滅。
まなにゃーさん分一つのみ購入出来た。
何か、可愛いポスターが目に入ったのは幸いだった。
長岡から一駅、宮内から上越線に入る。
越後滝谷を過ぎると、山影等に雪が残っている。
流石は名にし負う豪雪地帯。
小千谷を過ぎると、辺り一面の銀世界である。
信濃川の雄大な流れが見える。
16時57分、越後川口に到着。
次の列車は17時2分、飯山線の戸狩野沢温泉行き。
車輛は勿論、キハ111の2輛編成。
飯山線にはこれまで二回、乗車している。
初めて乗車したのか、1996年の冬コミの帰り。
二回目は1999年12月だから、26年振りになる。
初めて乗車した1996年当時、Eins:Vierが解散するなんて夢にも思っていなかった。
1999年、Eins:Vierが解散してしまっただなんて思いも寄らなかった。
そして今年、2021年。
Eins:Vierが再活動しツアーはおろか新曲、ニューアルバムを出すなんて夢にも思っていなかった。
初めて乗車した当時は老兵キハ52が最後の活躍を見せていた。
その当時、1996年12月9日に発売されたばかりのEins:Vierのアルバム「timeless words」を聴きながら飯山線に乗車したから、今回も「timeless words」を聴く。
越後川口を出て、信濃川の支流、魚野川を渡る。
飯山線は、本流である信濃川に沿って長野を目指す。
そして、上越線を凌ぐ豪雪地帯を走る路線。
雪が深くなって来る。
下条を過ぎると、十日町の町の中へと走って行く。
山が遠ざかり十日町盆地の真ん中を走る。
家や町工場!或いは酪農家みたいな建物が点在している。
北越急行の高架が左側から迫り十日町に到着。
越後川口行きと交換する為、8分ほど停車する。
時間があるから、駅構内を見回ってみたが、売店らしき物は見当たらない。
駅前も、そう云う商店らしきものは見当たらなかった。
1996年に乗車した時には、駅前の商店街に「弁当のこばやし」なる店があり、色々と購入した。
肉屋がやっている店で、唐揚げ弁当が実に旨かった。
実は、前もってネットで調べていたのだが、残念ながら廃業している様だった。
越後川口行きは1輛で、割と混雑していたし十日町からもかなり乗車していた。
戸狩野沢温泉行きには殆ど乗車して来ない。
越後田沢を過ぎると信濃川の支流の清津川と信濃川とのの合流地点付近で信濃川を渡り、車窓の左側を流れる。
十日町盆地が尽きて勾配がきつくなってくる。
キハ111のエンジンが唸りを上げている。
標高が上がり、真下に信濃川が流れている。
足滝を出ると、新潟県に別れを告げて、長野県へと入る。
長野県の最初の駅が森宮野原駅。
当駅で、昭和20年2月12日に7m85cmの積雪を記録している。
これは日本における鉄施設での最深の積雪でもある。
しかし、流石に目をこらしても外を見るのが不可能な位に日が落ちてしまった。
信濃川、その名を変えて千曲川が織り成す渓谷を眺めながら走る、美しい車輛が広がると云うのに残念でならない。
上境の手前で、タイフォンに急ブレーキ。
恐らく、野生の鹿か何かが線路内にいたのだろう。
18時54分、戸狩野沢温泉に到着。
既に職員はおらず、無人駅になっていた。
売店などある筈も無い。
駅前に店らしきものも無い。
駅スタンプが、土台と印の部分がずれており、綺麗に押せない。
意地になり、何度も失敗した。
19時8分発の長野行きに乗車する。
すぐに飯山に到着。
北陸新幹線が通り、26年前とは別の駅に迷い混んだかの様だ。
駅前にはツルヤ飯山店と云う明るく綺麗なスーパーまである。
1分停車ではなく、15分位停車してくれたら、買い物にも行けたのだが。
飯山線沿線では一番の町だから、車窓が明るい。
しかし、次の蓮が近づいて来ると、再び闇の中を走る。
それでも、千曲川の段丘に、家々の灯りが夜空の星の様に輝いている。
替佐で戸狩野沢温泉行きと交換。
立ヶ花を過ぎると、いよいよ雨がぱらついて来た。
豊野で、しなの鉄道北しなの線と合流する。
しなの鉄道は、元は信越本線だったのだが北陸新幹線が開業したのと同時に、並行在来線廃止の憂き目をみて第三セクター化されたのだ。
20時11分、長野に到着。
精算窓口で、豊野から長野までの運賃を支払う。
18きっぷトラベラーの大半は、キセルしたまま篠ノ井線に乗り継ぐ乗り継ぐだろう。
長野駅は、新幹線が開通して目まぐるしい変化を遂げている。
とても地方都市とは思えない位に変貌を遂げている。
しかし、何処も全て20時閉店。
駅構内のコンビニで、サンドイッチとビールの晩飯となった。
20時53分発の甲府行きに乗車。
車輛は211系。
川中島を過ぎて今井に停車。
この駅から、富士急行線の寿駅までの乗車券が欲しい。
長野から篠ノ井までは、信越本線でそこから先、軽井沢までは、しなの鉄道である。
此方は篠ノ井から塩尻に向かう篠ノ井線に入る。
稲荷山で長野盆地が尽き果て、冠着峠越えに挑む。
25‰の勾配が行く手を阻む。
蒸気機関車時代にはとてつもない難所だった区間である。
それを物語るのが、桑ノ原信号場
スイッチバックの信号場である。
これも急勾配が為せる技。
信号場に待避して、「しなの」が通過して行った。
再び本線に戻り、勾配を上がる。
そして、またスイッチバック。
標高551mの山の中腹にある姨捨に到着。
全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅で、かつては日本三大車窓の一つに数えられた、乗り鉄の聖地である。
この駅からは、長野盆地が一望出来る。
姨捨で夜景を見るのは初めてだが、これは日本三大車窓に相応しい。
姨捨を過ぎ冠着、聖高原を過ぎて松本盆地へと降りて行く。
22時10分、松本に到着。
東横インの松本駅前にチェックイン。
部屋は316号室。
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