我が家のお隣に住んでいらした学校の校長先生をされて定年を迎えて、森町歴史民俗資料館の初代館長を務めた方で、平成17年逝去(89歳)。その後浜松市に引っ越しされました。
講演会で話されたことや歴史民俗資料館などで、企画展などを行った際の集めた資料や写真等の散逸を防ぐという事で、纏められた資料を頂きました。
有史以前のこと。
紀元前2万年〜紀元前200年、石器時代の遺跡が天宮神社の境内から発見された打製石器(黒曜石などの矢じり、石包丁など)から 人々が住んでいたことが分かります。そこから縄文時代・弥生時代となりますが、町内の各地の遺跡(三倉・大鳥居・戸綿・草ケ谷・宮代)縄文時代の磨製石器・土器)が多数出土しています、飯田の平子遺跡からは住居跡も見つかってます。狩猟生活から定住、農耕生活が始まり、貧富の差が生じ、集団のまとめ役が生まれ、いわゆる豪族と呼ばれる一群が古墳時代に移ります。この地域では円墳・横穴墳が作られました。現在、葛城ゴルフ場のある観音寺からは、鶴の壁画のある横穴墳が見つかっています。赤根からは三神三獣鏡が、院内からは金銅の鞍(東京博物館蔵)が見つかっています。新貝直陰翁の記録によれば飯田から銅鐸が発掘されたと記録されています。
このように統一国家として出発しようとしていた時代に中央と深い繋がりを持っていた
人々がこの地に住んでいたことが分かります。古墳時代後期になると中國から仏教が伝わりました。(300〜550)欽明7年(538)、仏教は政治の手立てとして、やがて中央の
勢力の及ぶ各地に寺院が建てられました。森町では、705年に文武天皇の勅願寺として
僧行基によって創立されたのが蓮華寺です。当時は、輸入仏教の奈良六宗(三輪・法相・
華厳・俱舎・成実・律)の法相宗の寺でした。法相宗の寺といえば奈良の法隆寺(聖徳太子)興福寺(藤原鎌足)・薬師寺(天武天皇)の三寺がそれで、今三本山となっています
蓮華寺は、玄莊三蔵直伝の宗派で大衆には理解が難かしく、第十六代(831)に天台宗に
改宗して、三十六坊を持つ大寺となりました。しかし、1560年甲斐の武田の兵火によって一山灰燼に化して以来、昔日の姿に戻ることは有りませんでした。創建以来1300年余の歴史があるわけで、色々な話が伝わります。65代の(1167)の時に、皇円阿闍梨
が寄寓し、やがて桜が池で入寂し、あのお櫃納めの伝承が生まれたといわれ、今も交流が
続いています。また、94代(1416)の時、僧如仲が3年間逗留し、その後大洞院を開いたと言われています。大洞院の開山は梅山師となっていますが、如仲が師の開山を立ててそうしたのです。如仲には六人の優れた弟子があって、後にもそれぞれ寺を開いています。可睡斎・雲林寺・宗信寺・海蔵寺・岡山県の洞松寺・幡鎌の最福寺がそれで、それらの末寺まで含めると全国に三千もの末寺があると曹洞宗の中本山です。大洞院には、かつて私が子供の頃には、常に雲水が15~20名余も居て、街中で墨染めの衣を着て托鉢を
して歩く姿を見かけたものです。禅の修行道場としては今は建物だけになってしまいました。森町の寺院は現在では殆どが大洞院末で仏教面から捉えるならば、曹洞の教え履行舎
と言えるでしょう。
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