2021年2月20日 土曜日
11時01分〜
渡部学のコラム
ある投稿で考えさせられたことなんだけどね。
人を見下すとか罵るとか、罵詈雑言とか、恨み、憎しみの感情の言葉。
世の中には多くの人が悪いと思う内容はある。
だからそういうのは除外した話なんだけど。
自分自身の内面を見るというか、自分自身の内面を知る、認識するというか。
自分自身以外の人に見下し罵る、罵詈雑言ってのは
結局は合わせ鏡で見下してる自分自身が自分自身を見下してるというかさ。
ある投稿内容でね。
社会不適合者とか正常な人間とか区分してしまう事はある。
もちろん渡部学もある。
絶対に許せない悪行や悪人は居るしそれらの人間を区分せずにはいられない。
そういう明らかな多くの人が思う強烈に嫌悪する区分は除外して話すると
内容によってはなんですけど
社会不適合者や正常な人間と判断して、自分が正常な人間と思っていても、自分達もまた不完全な人間であるのは間違いない。
それを社会不適合者や正常な人間と区分して差別しても意味がない。
いや、意味はないとは言えないか。
正常な人間と自分自身思うのはいい。社会不適合者を嫌悪するのも正しい。
でも、逆転の発想なんだけど、無自覚に自分自身が社会不適合者だったとしたら?
そう考えたら?
渡部学にも、嫌悪する社会不適合者と見做す人達はいる。そういう最悪に嫌悪する人達は、死ななければ無くならない。消滅しなければ終わらない。そう感じてしまうほどの人間は世の中には居ると思う。
でも、正常な人間と思ってる自分自身が社会不適合者だったなら?
そう考えた時に周りにどうあってほしい?
気付いてない。無自覚なんだからさ。
ある投稿を見て無自覚な社会不適合者を批判し、嫌悪する人達は正しくないとは言わない。
更生するにはどうしたらいいか?考えた時には
どんな人間が周りに居ないとだめなのか?
どうしたら社会不適合者が正常な人間になっていくのか?
少し考えた。
周りの人間や環境が人を変えるとは思ってるが
世の中には環境や善人が囲っても、その個人の本質的な性格や性質で悪行や悪心に走る人間もいる。
それを治すのはもう無理なんだろうか?
無理だと思うから、渡部学も悪行する悪心の人間は死ななければ無くならない。消滅しなければならない。と考えてしまう。
無理じゃないならそんな考えにならない。
社会不適合者のレベルや段階にも色々あって更生できる人達もいると思う。
ただし、社会不適合者の中にも更生しないと判断せざるおえない人達はやっぱり死ななければ、消滅しなければ治らないのだと考える。
話それたけど、正常な人間と思ってるけど、無自覚に社会不適合者なら
自覚させれれば更生するんではないか?
そう思いたい。もし自分自身が無自覚の社会不適合者なら、そういう周りで居てほしい。
正しく善人が善意で接してほしいと自分自身が社会不適合者なら思う。
社会不適合者のレベルにより話は変わるけどね。
終わり
おまけ
自分自身に都合良いのが善人であり、都合悪い人は悪人。
でも、社会全体では?
正しい、間違ってるがあり、善人の範囲や悪人の範囲がある。
なんだか単純で、人間の感情は複雑だな。
おまけ 終わり
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