2021年2月16日 火曜日
9時41分〜
渡部学から
誰がとか特定しては言わないけど、世の中には一定数発生して存在する人の事をいいます。
人に正しい事を注意されたり、集団が心地よく暮らすために規則やルールを伝えた際
なぜに反発心がある人間、もしくは集団で心地よく生活するためのルールを伝えても、守れない人間。
注意やルールを守るよう言っても、余計に反発心で反発して、人に嫌がらせするように行動や感情がそうなる人。嫌がらせする事で気分良くする人、無関心で他人の不快な事をしても何も無自覚な人(多数が感じることへの共感性の低い人)。
世の中には一定数いる。なんでそういう意識や思考になるのか?
そういう意識がどうして発生してそういう人間が出来ていくのか?
疑問。その意識が発生してしまう理由はなんなのか?
そういうのをふと考える。
逆に考えると、そういうものが良く居れる人間はなぜ、良く居れるのか?その意識になれる理由は?どうしてそういう良い状態でいることができるのか?
意識の謎を凄く考える。
昔はねっ人が不快に思う事を嫌がらせしたり、無関心で無自覚に共感性や察する能力が低い人間を見るとその個人、その肉体の持ち主を憎んだり、嫌がったり、不快で嫌悪していた。
でも、最近ではその個人のそういう意識になる脳つまりは人格や性格や精神の事を考えるようになると、その個人、個人それぞれ別々だけど、その影響やそうなる仕組みというか種というか?そうなる原因と起因の共通点はなんだろうか?
そう考える。増える人間の共通点
人間の生態系の種類というか。
その謎を垣間見てるように感じる。
だから渡部学は最近思う。
例えて近隣の人間で言えば、父の渡部勇の人格や性格や精神の事で、渡部学が不快に感じる行動を取る父の思考がなぜ生まれるのか?無関心で無自覚なデリカシーのない身勝手極まりない事も含めて
そういう周りが嫌がる事に対して無頓着過ぎるというか?
それは一般常識で言えば、環境と育ち方、あとは本来のその人間の本質的な性質になる。
その人間の本質的な性質というのは、人間の生態系の種類の一つとして呼び方を変えると
その本質的な性質はどうして発生して作られるのか?という原因と起因の疑問
そういう話です。
一般常識で一言に言えば、その人の性格となる。
でも性格とはじゃ何か?
産まれてから育った環境の全ての総合の感情と思考。とも言えるし
その人間の本来の本質的な性質とも言える。
その二つだとして、環境と育った常識、習慣を抜いた場合
残るは本質的な性質だけになる。
その本質的な性質とはどこから発生する?
そこです。ただ単にその個人の行動や感情や思考を憎み、嫌がるけど、根本の問題はどこからなのか?って事。
例えて言えば、父の渡部勇のトイレ行ったら、排便後悪臭が漂う前にすぐ流してしまう。という習慣が全く見についてないのは日頃の習慣と育ち方の背景からと言える。
それと思考と感情で言えば、自分以外の人が不快や迷惑する事を辞めるように気にして対応するという協調性が欠けてる。身勝手で自分の事しか考えてないためである。そして、加えてそれが無関心で無自覚ならそこが思考で欠けてる部分。さらに嫌がったりする事をあえてわざとにしてるとすると、渡部学に対しての屈服させたい、嫌がらせしたことにより自分が思い通りにならない人間だと誇示したい。反発心。
それらだと仮説したら、父の渡部勇の個人は最悪な性格だったり、周りの人間に対して無関心、無自覚に身勝手だったりする事になる。
どうしてそういう感情と思考になるのか?
父の渡部勇だけでなく、世の中にいるこういう性質の持ち主が発生する起因と原因は?
世の中にいる。反発心や注意すれば逆に反発して悪いとされる事をやる。
なぜにこういう事が発生するのか?
一般常識で言えば、個人が相手に対して困らせたい(嫌がらせたい)、屈服させたい、服従させたい。自分の方が強いと誇示したい。などなど心理的な要因だろう。
だけど、その心理が生まれる要因は謎ですよね?
そうならない人間も居るのに、そうなる人はなぜだと思う?
その感情や心理の発生の謎こそ
その個人の人間の本来の本質的な性質といっていいのか?
なんなんだろうか?
終わり
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