mixiユーザー(id:139150)

2020年11月28日22:18

68 view

遠州生まれの偉人伝

東京女子医科大学の創始者 吉岡彌生(明治4年1871〜昭和34年1959)
女性が学ぶことも仕事をすることも困難な明治時代に、吉岡彌生は医師になる夢を実現

しただけでなく、医師を志す女性たちのために、東京女子医科大学の前身となる東京女医
学校を創立しました。なぜ、掛川の高天神城の麓で生まれ育った女性が偉業を成し遂げら

れたのか、掛川市吉岡彌生記念館の学芸員とともに足跡を辿ってみる。掛川の土方(ヒジカタ)
で生まれた彌生は、幼い頃から勉強好きな一方、正義感が強い、山や川で遊ぶ活発な子供

でした。小学校を卒業した彌生は、「人の為になることをしたい」と医師になる決意をし
反対する父を説得して上京。数百人の男子学生に交じって学び、医術開業試験にも合格し

日本で27番目の女性医師となる。その後、自分が学んだ済生学舎が女子学生を受け入れ
ない方針を知った彌生は、東京至誠学院を営む夫の吉岡荒太と協力し、東京女医学校を明

治33年に創立開校。時に29歳という若さだった。そこまで成し遂げるのも大変な苦労
だったが、法改正により、大正3年以降は医学専門学校の認可をえなければ生徒が医師試

験すら受けられないという廃校の危機が訪れる。夫婦は奔走して借金をし、設備を整えて
やっと明治45年に認可が下りて晴れて東京女子医学専門学校となった。

吉岡彌生は女性医師の道を切り開いただけでなく、様々な婦人団体の要職を務め、女性の
社会的地位の向上にも貢献した。その彌生について「好奇心が強く魅力ある人」「愛情あ

ふれる人柄に、みんな引き付けられたのでは。女性だからとあきらめず、目的を成し遂げたところが凄い」と、学芸員の二人が話す。

漢方医である鷲山養斎の二女として生まれる。18歳の時、医師を志し上京。済生学舎に
入学。21歳で医師開業試験後期に合格。日本で27番目の女性医師に。東京至誠学院・

院長の吉岡荒太と結婚。29歳で東京女医学校を創立。東京女子医学専門学校に昇格。
東京女子医科大学認可を経て、81歳で同大学学頭に就任。
掛川市吉岡彌生記念館 掛川市下土方474番地 電話 0537-74-5566 9:00-17:00


4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年11月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

最近の日記

もっと見る

過去の日記

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年