「答えられる祈り」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20569 (写真入り記事)
ある国で、日照りが続き、雨が降らないので畑が干上がり、飲み水もなく、井戸水で何とか生活をしていました。
「このままだと、この国は砂漠になってしまう!」という危機感の中、みんなで集まって神様に雨乞いのお祈りをすることになりました。
二日目のこと、お祈りの集会を指導する導師が会衆を見渡して苦言を呈しました。
「なぜあなたがたは、雨乞いの祈りをしながら傘を持ってここに来ないのですか? 神様が雨を降らせて下さると信じないで祈っているのではないか!?」と。
私たち人間は、困ったことがあったら、神仏などに対して祈るのではないでしょうか?
有名な心理学者は、「自分の命の危機に直面した時、祈らない人はいない!」と断言しました。その通りだと思います。
祈りは、誰に祈るかが大切です。祈りに答える力を持った存在に祈らなければなりません。
1000円しか持ってない人に「10万円を貸してくれませんか?」と言っても、「こっちが借りたいくらいだよ!」と言われて終わってしまうでしょう。
聖書には、創造主であり、全知全能の神がおられることを教えます。
次に、祈ると同時に、祈ったならば、「祈りが答えられると信じる」ことが大切です。
神様に雨乞いをする人たちが、祈ると同時に傘を持って来なかったのは、雨が降るとは信じていなかったからです。
困った時には、「藁にもすがる 」と言われますが、藁にすがり、藁に頼っても何も助けてはくれません。
イエス様は、「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコの福音書11章24節)と教えられました。
今日、あなたには心の底から願うことがありますか? もし願いがあるならば、それを祈って下さい。そして、祈ったならば、神様が祈りに必ず答えて下さると信じて下さい。
神様に雨乞いをして祈ったならば、次に、「神様が雨を降らせて下さる」と本気で信じたならば、極自然な行動として傘を持って出かけるはずです。
もし、祈っているのに行動に移っていないならば、「祈りが必ず答えられる」と本気で信じていないかも知れません。
しかし、信じられない理由は、「神の御心」を祈り求めているのではなく、「自分の欲望」を祈っているからかも知れません。
自分の良心が自分の欲望通りになることを承認してくれないので、自己一致できず、祈りを信じきることができないのです。
「神の御心」とは、「自分の欲望」と正反対のこともあります。
しかし、「神の御心」と「自分の真の願望」は一致するものです。
祈っているその時は、「神の御心が一番良い!」とは思えなくても、後で、「神の御心が一番良かった!」と必ずわかります。
聖書は「神の御心を祈り求めなさい」と教えます。
私たちの祈りは、ほとんどの場合、神の御心ではなく、自分の欲望を求めます。
自分の欲望は、「自分さえ良ければ、他の人はどうなってもいい!」というものです。
神がその祈りを答えられたら、世界は大変なことになってしまいますし、本当は、誰もそんなことを心の底から願っていないはずです。
神様の御心は、永遠の視点から見て、全てを知った上で一番いいことです。
私たちの視点は、その場限りであったり、短いスパンでしか見ています。
「井の中の蛙大海を知らず」と言われるようです。
また神は、誰か一人の人だけの幸せを願っていません。みんなの幸せを願っています。
ある人は、「もし神がいるならば、なぜ世界に戦争があるのでしょうか?」と言います。
答えは、もし世界中の人が、互いに赦し合い、みんなの幸せを願ったら戦争は「0」になります。
またある人は、「なぜ神がいるのに世界に貧困があるのでしょうか?」と言います。
答えは、裕福な人がお金や財産や食料を独り占めしないで、みんなで分かち合ったらみんなが満腹で幸せになるはずです。
神の御心は、みんなが助け合い、みんなが幸せになることです。そんなこと綺麗事だと思うかも知れません。そして、私たちにはできません。だから祈るのです。
神は愛です。公平で平等です。理不尽で不公平なことは一切ありません。
神を信じ、神に信頼して生きていきましょう。
今日も、素敵な一日でありますように。
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