手配写真に載る程の悪事に加担した事は、まだ一度も無い。
宗教的な道徳観で深い反省を求められる時、私は何故か我知らぬ剣呑さを迸らせ、人でも殺しそうな眼差しをしている。
鏡を見て、改めて、自分自身に
「(^▽^)今日は調子どうよ?」
などと声をかけてやり、時折は自分自身に
「(^▽^)奴等と同じ反省を求められるなら、反省しなきゃならない事態を何か仕出かしてから、その後だよな?」
と声をかけてやる。
今日のテレビ番組では違法薬物に手を染めたアメリカ人ボクサーの『負け犬の唄』が放送されていて、アメリカ人ボクサーの母親が亡くなった棺の前で彼がどんな風に深く反省をしていたものか、語られていた。
お前らの側から何かしらの深い反省を求められる時、私は必ず深い不公平感を全身にみなぎらせて世の中の全ての悪徳と不平等を憎み呪い、未来に向けた無意味な約束を私は自分自身と交わすのだ。
人でも殺しそうな眼差しよりも深く邪悪な、『人を殺した後の眼差し』が、警察署の前にはいつも貼り出されている。
因みに、町内会役員とはPTA役員と社会的役割はほぼ同質であって、その実情は『ボランティアでもしなきゃならない事情』って代物を抱えた人々の集まりでもある。
感情の処理を完了させた後に鏡に映る私は、必ず笑顔だ。
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