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2018年07月30日23:35

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大森散歩オフ

東京再発見の大森を歩くオフに参加してきました。
台風の影響が懸念されましたが、出発時までに上がったので無事に催行となりました。
10時に京急の平和島駅に集合で、平和島に停車するエアポート急行に乗ったところ、1本だけの黄色の電車が来ました。
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余裕を持ってかなり早めに到着したので現地で朝食を兼ねて休憩にし、当初は別にファーストフード店などでいいと思っていたのですが、駅改札そばに信濃路という立ち食いそばと食堂と居酒屋を合わせたような渋い雰囲気の店があり、昭和の面影を色濃く残すレトロな雰囲気に加えて値段も安めなので、すかさずこの店に入りました。
店内に入ると奥行きが広く、一番外寄りは椅子なしの立食席で、中間に椅子付きカウンター席があり、一番奥はテーブル席です。メニューは壁に紙で書かれたものが沢山貼ってありますが、ほぼ全て手書きでこれもレトロ感溢れるし、機械で書いた文字にはない温かみある雰囲気がいいですね。
朝から飲める店で、テーブル席にはビールを飲んでいる人が多数いましたが、さすがに私は朝から飲む気は起きないので、天ぷらそばのみを食べました。味はごく普通の立ち食いそばの水準ですが、こういう雰囲気の場所で食べると不思議と美味しさが増します。
今回は天ぷらそばしか食べませんでしたが、単品料理や定食や酒も充実しているので、また入る機会があれば、今度はそちらも味わってみたいと思います。
そして10時に平和島駅をスタートし、まずは大森神社(寄来神社)に立ち寄りました。
第一京浜(国道15号線)に面していますが、道路ができる前はもっと土地が広く道路の反対側の旧東海道のほうまで敷地があって広大だったそうです。
次いで第一京浜を渡って旧東海道に出て、海苔問屋の川島屋と美原不動尊に出ました。
不動尊の名前は「美原」ですが、ここの昔の地名が「南原・中原・北原」で、元々は合わせて三原と呼んでいて、いつの間にか美原という字を当てるようになったそうです。
美原不動尊は真言宗醍醐派の寺院で、昭和25年(1950年)建立と書いてあり、寺社仏閣にしては歴史が浅いのですが、旧東海道沿いだし、この付近の旧東海道〜第一京浜までの細い道が大森神社の旧参道だったことを後で知ったので、実際にはもっと古くから存在し、元々は大森神社の旧敷地内にあったか隣接してあったものが取り残されてこうなったのではと推測されます。
また、旧東海道沿いの海苔店は、シャッターに浮世絵が描かれていてこれもなかなか趣深いです。
次いで大黒屋に立ち寄って、名物の海苔大福を食べました。元々数量限定であまり売っていないそうですが、今回は我々一行で完売してしまったそうです。
そのまま旧東海道を南下して環七を渡ったところ、海苔の松尾前に「中原と南原の境」の碑がありました。
その後は、浄土真宗本願寺派寺院の徳浄寺と安倍川餅の餅甚に立ち寄りました。
徳浄寺は本願寺派だからなのか、築地本願寺のデザインにも通じる雰囲気がある本堂が特徴的でした。
餅甚の安倍川餅も食べてみたいところでしたが、箱単位のみで単品売りはしていないそうです。
次いで、内川にかかる内川橋を渡りました。北馬込付近を源流とする小さな川ですが、源流は枯渇して東海道本線より上流は暗渠化されて下水道に変わったとのことです。開渠部に流れている水は海から入り込んできた水のため、潮の満ち引きで水位が変わるそうです。
ここから旧東海道を離れて、羽田道(するがや通り)に入りました。旧東海道から羽田道が分岐する内川橋に駿河屋という旅宿があったことに由来するそうですが、駿河屋自体もその後身と思われる宿や店舗らしきものは現存しません。ただ、橋の横にあった焼きそばとたこ焼きの店はなかなかいい雰囲気でした。
そして羽田道を進んで厳正寺に到着しました。ここは特徴的な梵鐘があるほか、水害に悩まされていた土地でそれが治まるように祈願した「水止舞の寺」と呼ばれています。
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次いで、隣接する貴舩神社に立ち寄りました。
社殿正面に小さな太鼓橋があり、現在は暗渠化されて水が流れていませんが近くの貴船堀まで水路が通じていたそうです。
ここには貴舩稲荷と熊野神社も合祀されています。
そして、貴船堀公園に出ました。ここは貴船堀(=貴船堀公園)と直角に交差する緑道があり、ともに元々は運河でここで交差していたと推測されます。地図で見ると「エ」の字形に公園が広がっているのが分かりました。
時間があれば隅々まで見たいところですが、今回は中央を通過しただけです。特に端のほうは行き止まりになっていて人が来ないせいか猫の溜まり場になっているそうで、猫好きとしては再度訪れたいところです。
その後は鷺之森稲荷神社を通過して、内川の新橋(志んばし)を渡ってしばらく内川沿いを歩きました。
川沿いには梅干しを干している家もあり、これは最近の東京では珍しい光景かもしれません。
そして河口の内川水門を見てから、大森ふるさとの浜辺公園に入りました。
人口浜辺があったりして気分だけはビーチリゾートですが、猛暑日ではないけどめちゃめちゃ暑く感じました。
ビーチバレーのコートがあり、体験ができるほか京急スポーツフェスタというイベントも行われていて、そのせいか時々水着のままレストハウスに入ってくる人がいて驚かされました。
ここのレストハウスで昼の休憩となり、海を眺めながらエビチャーハンを食べました。
午後の再集合は公園内の「大森海苔のふるさと館」前となり、食後に公園内を散策してからそこを見学。
橋の下に船着き場があったのですが、時刻表が貼っていないので定期便は就航していないようですね。
そして、いかにも南国な木があったりと色々な木や花がありますが、国内外友好都市の記念植樹もあるそうで、秋田県美郷町、長野県東御市、アメリカのマサチューセッツ州セーラム市、中国の北京市朝陽区が紹介されていました。
地理好きとしては海外の都市のスペックがどうしても気になってしまうものですが、中国は面積も人口も桁外れなだけに、北京市朝陽区も日本の特別区や政令指定都市の区とは全くの別物といえ、人口は275万人で大阪市並み、面積は470�屬撚I融圓鬚眈絏鵑覽�模なだけに、規格外にビッグです。
海苔のふるさと館は、大田区の海苔養殖の概要や歴史などについて展示しています。実物が水槽に入れてあり、今回は何も行われていませんでしたが、実際に作る体験学習会も行われているそうです。
また、海外の海苔食文化が紹介されていて、日本の海苔と似ている(製法はだいぶ違うそうですが)ことで知られる韓国の海苔、伸ばさないでそのままスープに入れて食べる中国の海苔、ペースト状にしてオートミールなどに混ぜたり油で炒めて食べるイギリス・ウェールズの海苔が紹介されていました。特に西洋にも海苔を食べる文化があったとは知らなかったので興味深かったです。
また、海の埋め立ての歴史についての解説があり、江東区と大田区で帰属をめぐって今ももめている中央防波堤を見ると、やはり海苔の漁場だったようですね。帰属をめぐっては、大田区は漁民が海苔の漁場として使っていた歴史を主張し、江東区はゴミによる埋め立ては江東区側から徐々に行われたものだし江東区の犠牲の上にも成り立っていると主張して譲らず、その後に都から江東区に86.2%、大田区に13.8%という調停案が出されるも決着していないようです。中央防波堤の「海の森水上競技場」がオリンピックで使われるだけに、都は何としてでも解決を目指したいのかもしれませんが、簡単には決着しないでしょうね。
また、資料室にあった海苔産業情報センターの「ザ・海苔」という広報誌は、専門的で難しいけどマニアックな内容で面白かったです。
3階は展望室になっていて、公園を一望できるほか花もきれいでした。
見学後に集合となり午後の散策がスタート。
大森ふるさとの浜辺公園を出るとすぐに平和の森公園が隣接していて、公園の中を歩きながら移動しました。
公園内にはフィールドアスレチックがあり、子供の頃に「風雲!たけし城」を見た世代としては特にときめくものがありますが、多分今やったとしても昔のように身軽には動けないかもしれません。
平和の森公園は環七をまたいでいますが、陸橋をくぐって反対側に抜けると池と広場があり、午後だけど蓮が咲いているのを見ることができました。
この公園は平和島運河を埋め立てて造られた公園で、平和島というのも元々は島でしたが、この埋め立てにより陸続きとなりました。戦時中に捕虜収容所として埋め立てられた場所で、戦後にそのような経緯から平和への願いを込めて平和島という名称が付与されました。広場に建つのはそのシンボルである「愛し子像」です。
平和島公園を出た後は、ボートレース平和島を見学。平和島運河のうち埋め立てられなかった部分が競艇場として使われています。
競艇場で有名な街ですが、隣接して映画館・ゲームセンター・ショッピングモール・温泉などの複合施設「ビッグファン平和島」があり、競艇以外でも色々と楽しめるリゾートのような場所です。天然温泉平和島で羽田空港の早朝・深夜便利用客のための無料シャトルバスを運行していて、温泉で深夜パックを設定しているため、ここに前泊する人もいるそうです。深夜でも約1時間ヘッドなのでほぼ24時間バスを運行しているのには驚きました。
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ボートレースは入場料100円を現金で自動改札機に入れて入るというシステムです。入場料のみで入れるエリアは基本的に屋外ですが、上の階はガラス張りの指定席もあります。
競艇は全くやったことがないので舟券の賭け方や買い方は全く分かりませんが、見ているだけでも迫力があってなかなか面白かったです。
また、スタンド下には売店や飲食店が多数ありますが、「勝つ」にかけているのかカツ丼、カツカレーなどのメニューが多いのが印象的でした。私も串カツを1本食べました。
あと競艇というと観客の年齢層が高く、おじいさんが楽しむギャンブルというイメージがあったのですが、若い人だけで来ている人も決して少なくはなかったです。
あと、結局声を掛けることはできなかったのですが、他のオフで会ったことのある人が普通に舟券を買ってみている様子だったのを発見。競艇をやる人だとは知らなかったのでびっくりしたし、世間は狭いと実感しました。オフ会関係者に無関係な時にばったりということはたまにありますが、そういうときはできれば大きな猫、篠田麻里子(以下略)
ボートレース見学後は運河の反対側に出て、対岸となる競艇場の裏を通って移動しましたが、ここで猫写真を1枚。ここは競艇場に面してマンションが多数ありますが、レース時の騒音が激しそうですね。競艇場のほうが古くからあるので苦情を言う人は当然いないはずですが、ここに住むにはそれなりの覚悟が要りそうです。
そして、第一京浜を渡って磐井神社に到着。太田七福神の弁財天、海豊稲荷神社があるほか、風鈴が多数飾られていてなかなか良い雰囲気でした。
ここには戦時中の空襲に耐えた銀杏の木があり、本殿は焼けてしまったそうですが木は焦げた跡が残るもしっかりと葉をつけて健在です。
次いで、神社前にある磐井の井戸を見ました。元々は磐井神社敷地内にあったものですが、第一京浜の道路拡張によって神社の土地が削られてしまい、井戸は歩道上になってしまいました。
井戸は東海道を往来する旅人たちに利用され、霊水としても讃えられていたそうです。また、この井戸の水を飲むとき、心が正しければ清水、邪心があれば塩水という伝説もあったそうで、今もその水が飲めるのであれば確かめてみたい気もしました。
その後は、大森海岸駅から合流の人との待ち合わせがあるので、駅前の公園で小休止。タイヤの遊具がありましたが、タイヤサイズが桁違いに大きく、サイズを見たら「27.00-33」と出ていました。明らかに自動車用ではないと思って調べてみたら、大型のトラクターや耕運機などの農業機械用のタイヤのようですね。
その後は第一京浜の大森海岸駅前付近から大森駅東口を結ぶ道を進み、今はイトーヨーカドーになっているアサヒビール東京工場跡の碑を見ました。工場は平成14年(2002年)に南足柄市に移転しましたが、「アサヒスーパードライ」が誕生したのがこの工場だそうです。
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そして、イトーヨーカドーの玄関付近には「沿道の歴史」という題で「京浜電気鉄道大森支線」の紹介と当時使われていた敷石が置かれていました。これは現在の京急の前身となる路線で、六郷橋から大森停車場まで路線が敷設されるも、後に現在の大森海岸駅付近から品川に向かって路線が延伸されたことに伴いこの区間は支線となり、1kmに満たない距離を路面電車が単行で行き来していましたが、昭和12年(1937年)に廃線となったとのことです。
遺構は残っていないそうですが、この通りの終端の大森駅東口ロータリーの南側にあるループ状の道は、鉄道の折り返し線をそのまま流用したものだそうです。
イトーヨーカドーで小休止した後に大森駅に移動し、大森貝塚から出土した縄文土器を模した噴水と、「明治45年7月製造」「鉄道院」の刻印が入った駅の階段柱として使われていた鉄柱を見ました。
明治時代の柱がこうやって保存されているのは素晴らしいことですが、喫煙所の横という立地は何だか微妙ですね。
その後は線路沿いの公園を歩いたところ、変わったデザインの花壇や下水道の換気塔がありました。
そして、線路下の隧道内にある大森貝塚のレプリカと隧道入口の池を見ました。ちょうど線路を境に低地から台地になるという場所もあって、池は湧水かもしれませんね。
次いで、九頭龍権現水神社(大井の水神)に行きました。溶岩で作った祠と鯉が泳ぐ池が特徴的ですが、何故か二宮金次郎像もあります。水は元々は湧水だったそうですが、残念ながら現在は枯渇してしまったそうです。
次いで線路を越えて、来迎院と鹿嶋神社を見ました。来迎院は徳川家光が鷹狩の際の休憩所として使った寺で、鹿嶋神社には大井囃子の碑があったほか鳥居に「荏原郡」の文字が見えました。
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その後は大森貝塚遺跡庭園を見学。塀が縄文土器の模様をイメージしたものになっているのが面白いです。ここは貝塚の発掘調査が行われた場所の跡地です。
公園の中央には貝塚を発見したモース博士の銅像と噴水があり、定時にミストが噴射されます。また、貝塚の実物が僅かではありますが見られる状態にしてあります。
その後は駅方面へと歩きましたが、途中の品川区と大田区の境にループ状のモニュメントがある遊歩道を発見。曲がりくねった道だけにやはり川の跡だそうで、そういう水がある場所だけに縄文時代から人が定住していたのだというのを実感しました。
次いで「我国最初之発見 大森貝墟 理学博士佐々木忠次郎書」と彫られた大森貝墟の碑を見ました。大森貝塚遺跡庭園があるのは品川区ですが、モースが一番最初に発見した場所が品川区側か大田区側かはっきりしなかったことから大田区もうちが本家だと主張し、こんな具合に両区を跨ぐような形で大森貝塚を示すものが2つ存在します。
また、これがあるのはNTT敷地内なので、維持管理もNTTがやっているようですが、解説板に民営化前の名称で「日本電信電話公社」と書かれていたのが印象的でした。
最後は駅前にある山王小路飲食店街を見ました。大森駅前の池上通りと線路の間にある飲み屋街で、池上通りからだと谷底に下りて行くような感じになるため通称「地獄谷」と呼ばれているそうです。
古い小さな店が多数軒を連ねていて、なかなか面白そうな雰囲気の飲み屋街でした。
そして大森駅山王口で解散となり、今回の街歩きは終了しました。
終了後は東口で飲み会となり、暑さのせいか酔いが回るのが早かったですが、歩いた疲れを癒しました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)https://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/41041872.html
(2)https://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/41041882.html
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