昨日が出勤になってしまい、一泊二日の福井旅行が駄目になった。
宿泊施設が何処も満員御礼で、どうしようもなかった。
まなにゃーさんの怒りも酷いから、それで急遽日帰りの名古屋観光の予定を組んでみた。
京都6時5分発の長浜行普通列車に乗車。
18切符シーズンで、お盆の三連休だから凄い人。
18切符トラベラー歴30余年の私からしたら大した事では無く、爆睡しながら米原へ。
7時22分、米原着。
階段ダッシュで7番線へ移動し7時38分発の大垣行きを待つ。
ほどなく311系の大垣行きが入線。
高校の時分には最新鋭の車輛だったが、随分と草臥れて来た。
先程乗車した223系と比べると、かなり見劣りしてしまう。
定刻に発車し、無事に関ヶ原も越えて8時14分、大垣に到着。
超満員の乗客が新快速に乗り換えるから、一本遅らせて8時42分発の特別快速
豊橋行に乗車。
時間があるから養老鉄道のホームで、養老改元1300年祭のラッピング車輛の撮影をした。
JRのホームに戻ると、313系の折り返し特別快速が入線して来た。
発車間際にかなりの乗客があり、満席になった。
岐阜や尾張一宮でも乗客を拾い超満員になる。
18切符関係無しに新快速は混む。
名古屋を遣り過ごし9時20分、金山に到着した。
続いて中津川行きの快速に乗り換える。
9時28分金山発の快速は、211系だった。
中央本線に乗るのも随分と久し振り。
ただ、本日は大曽根で降りるので、中央本線の醍醐味は味わえない。
9時36分、目的の大曽根に到着した。
徳川美術館へは、駅から徒歩15分程掛かる。
小雨が気になるが、傘を買うほどでも無く、美術館へと急ぐ。
開館10分前に到着したが、かなりの行列が出来ていた。
10時に開館。
徳川美術館は、尾張徳川家第19代当主・義親が維新後の大名家の没落により失われ行く大名家の什宝の保存や公開の必要性を感じ、 1935年11月10日に開館した。
ロビーには徳川家康が着用した黒塗黒糸縅具足のレプリカが飾ってある。
駿府御分物など尾張徳川家伝来の大名道具を中心に武具、茶道具、能、嫁入り道具など大名家の什宝の数々が展示してある。
更には教科書等でもお馴染みの、徳川家康三方ケ原戦役画像や源氏物語絵巻。
加藤清正が蔚山城戦で着用した長烏帽子形兜など、歴史好きには堪らないコレクション。
珍しい所では、尾張徳川家14代徳川慶勝が撮影した知恩院の写真など、見応えがある。
最近の流行りなのか中高生の女性の姿も多かった。
特別展で、「天下人の城-信長・秀吉・家康-」と云うのもやっており、戦国期の貴重な資料が展示してあった。
前々から来たいと思っていたが、ようやく念願が叶った。
見終わったら11時半を廻っていた。
徳川美術館には創業300年の老舗仕出し屋「八百彦」が手掛ける料亭「宝善亭」が併設されている。
お盆の三連休で込み合うだろうから予約を入れておいた。
頂くのは、「信長御膳」で、これは天正10年(1582年)5月、織田信長が明智光秀に饗応を命じ徳川家康や穴山梅雪を安土城にもてなした「安土御献立十六日之夕膳」を再現、簡略化したもの。
一乃膳。
食前酒は赤ワイン。
当時既に飲まれていたと云う。
鮎の内臓と卵の塩漬けにした、うるか。
魚の擂り身を串につけて焼いた、蒲鉾。
茹で蛸の酢の物。
ナマコの内臓を塩漬けにした、このわた。
それに鮑。
二の膳。
椀物は鯉。
当時最上級の魚は鯉とされていた。
三乃膳。
鱸の造り。
三鳥五魚の一種で、美味な魚として当時も食べられていたと云う。
醤油がまだ無い為に、蓼酢で頂く。
四乃膳。
焚き物。
茄子つぼつぼと云い、茄子をくり抜いて中に鶏の挽き肉をつめ、茄子の身でふたをしたもの。
当時は鴫の肉を用いていたとの事。
五乃膳。
焼き物。
当時は鴫を使用していたが、今は叶わないので鴨。
琵琶鱒塩焼き。
生麩の田楽。
六乃膳。
焼き味噌。
信長の好物だったとか。
七乃膳。
宇治丸。
鰻を丸のまま焼いてたれをつけたもの。
蒲焼きの元祖。
八の膳。
湯漬け。
宇治丸を乗せて、湯漬けにする事も出来る。
湯漬けは信長の好物でもある。
そして瓜味噌漬け。
最後、九乃膳。
羊皮餅。
と云うメニュー。
当然の事ながら、昼酒を堪能した。
13時半に食事が終わり、徳川美術館を後にする。
大曽根駅へ戻り全国でも珍しいガイドウェイバス、通称「ゆとりーとライン」に乗車する。
これは、新交通システムの様な軌道を走るバスで、勿論、普通の道路を走る事も出来る。
13時50分発の中志段味行きに乗車。
暫く専用軌道を走り、一般道に降りて二つ目が竜泉寺のバス停。
14時06分に到着した。
ここからすぐの所に龍泉寺と云う寺がある。
「沙石集」によると、龍王が一夜のうちに造立した寺であるとされ、江戸時代には名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつとされた。
重要文化財に指定されている山門から境内に入る。
山門の所に猫さんが寝ていたが、境内には彼方此方に猫さんがいた。
龍泉寺は、 龍泉寺は高台にあって、また庄内川や崖、湿地に囲まれた要害の地であり、濃尾平野を一望できるため、弘治2年(1556年)には織田信行が城を築いたと云われ遺構も残っている。
そんな謂れがあるから、模擬天守が建てられている。
中は宝物館となっており、重要文化財の木造地蔵菩薩像や円空上人の作と伝わる馬頭観音立像、千体仏等が展示されていた。
その中に混じってこの様な絵画が奉納されていた。
更にこの様な集合写真まで。
宝物館を出ても、まだ猫さんに絡まれていた。
御朱印を頂いて龍泉寺を後にする。
猫さんが着いて来そうな勢いであった。
帰りは一つ大曽根側のバス停である竜泉寺口から15時04分の大曽根行きに乗車。
すぐに専用軌道に入り15時20分、大曽根着。
JRに乗り換えて15時29分の名古屋行きに乗車。
此方も211系であった。
名古屋まで行かずに金山で下車。
15時54分発の快速米原行きを待つが、4分程遅れている。
ようやく到着したと思ったら超満員。
名古屋で一つだけ空いた座席に座る。
そこで、ほっとしたのか爆睡。
目が醒めたら醒ヶ井だった。
17時09分、米原に到着。
隣に停車中の17時17分発の新快速播州赤穂行きに乗車。
一瞬で席が塞がる。
後ろに北陸本線からの編成を連結するが、この9号車が冷房が故障しており、蒸し風呂の様に暑い。
超満員の乗客を乗せて、18時12分、京都に到着した。
結局、金山から名古屋の間以外は全て着席出来た。
18切符トラベラー歴30余年は伊達じゃない。
河原町へと移動し、臨都閣下と合流。
「ミュンヘン」にて晩餐を取る。
昼が和食だったから、夜は洋食と云うまなにゃーさんの希望。
まずは名物の唐揚げ。
そして通常の3倍、シャア専用オムレツ。
そして、インデックスさんなまなにゃーさんの大好きな、肉。
実に良き宴であった。
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