1つ目
鳥越応援していた蓮舫、小池都知事と面会 「おめでとうございます!姿を見ると、力が出ます」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48511140.html
で、蓮舫が変節漢扱いされているのだけれども、それを言ったら増田寛也を推していた自民党本部だって、選挙後は小池に融和姿勢を見せているし、未だに抵抗を示している自民党東京議連が、節義を曲げない立派な人たちかという話。社交辞令くらい自由に言ってもいいだろうと。
2つ目
A・ジョリー、国連トップへの野心が離婚の大原因
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000015-nksports-ent
>ジョリーはしばしば、レバノンやイラクのような紛争が起きている国々にも子供たちを同伴
>ピットはジョリーが1人でチャリティ活動を行うことには協力的だったが、
>子供たちを危険な地域に連れて行くことに関しては猛反対
すでに離婚に向けての情報戦が始まっているので、この報道も決して鵜呑みには出来ないのだけれども、アンジーが子供を連れて紛争地域に入っているのは間違いない事実なわけで、確認の取れないピットによる児童虐待の話よりは説得力はあるだろうと。
もちろん、子供をダシにした売名行為とかではなくて、自分の子供にも悲惨な現状を知ってもらいたいという、至って高邁な精神によるものなのだろうけれど、決して安全ではない現地にまで連れて行くのは、さすがに行き過ぎだよなと。
3つ目
長谷川豊氏、「人工透析」ブログの「真意」語る 全腎協の謝罪要求は「断固拒否」
http://www.j-cast.com/2016/09/25278891.html
これは関しては個々の体質に依る所は大きくて、同じくらい自堕落な生活をしたとしても、発症する人もいれば、発症しない人もいる。だとすれば先天的と後天的、どこで線引きするつもりなのだろうか。
もっと自堕落な生活をしている人がのうのうと生きているのに、うっかり発症してしまったからといって、「お前は自堕落だから死んでいい」と、人間のクズ扱いするいうのは公正なのか。人の生き死に決めるにしては、さすがに定義が曖昧すぎるだろうと。
「飽くまで問題喚起だから、厳密な定義は決めていない」というなら、それはそれなのかもしれないけれど、そんなフワッとした考えで「死ね」とまで言ってしまうのは、人としてどうなんだろうか。「死ね」なんて軽々しく使っていい言葉ではないよなと。
まぁ何にしたところで、人の生死を語るにしては、あまりに軽すぎる言論だったよなと。
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