子どもからの「LGBTカミングアウト」に親はどう思うかを調査 約半数が前向きに受け入れると回答
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4150181
実は、中3のとき。バレンタインデーの当日。誰もいない、放課後の美術部準備室で。
美術部部長をやっていた頃、
いがぐり坊主の1年生から、2人しかいない時、マフラーをもらったことがある。
「らぎせんぱい。

返事が欲しいです。」と、(中略)お手紙付きで。
「@_@。(無言)」
目は口ほどにモノをいうが、彼のまなざしは真剣そのもので、からかえる雰囲気ではなかった。
ソドミーの世界に興味はないが、女子が見ていたら キャーキャー言いそうな瞬間だったかもしれない。
とりあえず、まだ心理学というものを それほど理解していなかったオレでも、思春期に、恋愛対象がいない男子、女子が、慕情というものにあこがれを抱き、勝手に頭の中で作り上げた”妄想の恋人像”というものに、一人で恋をして、それを身近な誰かに仮託して あたかも”現実の恋人”ができたかのような充足感に浸る。
人もあろうに、よりによってオレかよ。と 思ったが、ここは 先輩として、後輩を”正しい道”に導かなければならないのだろうか?と考えた。
(その頃は、LGBTに関する指導教育はなかったので、何が”正しい”かなんて、自分でも言い切れなかったけど)
考えた挙句、
「手をつないでみようか。」と言ってみた。
一年坊主「・・・・。・ω・ らぎさんの手、氷のように冷たいです。」
「それが答えだ。
悪いけど、オレは君に対して そういう気持ちは湧かないから、そういうことはな、女子か他の生徒とやってくれ。」
腑に落ちないようだったが、「脈なし」と思ったのか 彼は ちょっと、うなだれて帰っていった。
10代の頃は、勘違いや気の迷いというのもある。
まだ、自己のジェンダーがどこに属するかなど、定まらない年頃に、あまりにLGBTの定義に 自分をあてはめ過ぎると、かえって自分自身もそうではないかという錯覚を自分自身が抱いた時に、時間をかけて”ヒトと自分の違い”を受け入れていくしかない時期もあるようだ。
いきなり、頭ごなしの否定では、迷っている本人も混乱するかもしれない。
あの時、先走っておかなくてよかったと思うような出会いがあることを、期待している。
たぶん、親の庇護から、離れようとしている 自立心旺盛な年ごろは、保護者の愛じゃない 誰か「好きな人、分かり合えそうな人」の承認みたいな、”ひとのぬくもり”が たまらなく恋しい年頃なのかもしれないのだ。
※もちろん、日本の長い伝統に基づく 男色文化の中には、”念者”と”稚児”という関係があったことも知っている。別に、毛嫌いするわけじゃない。
それは、自由に異性関係を持てなかった、禁欲的で閉塞的なホモソーシャル(単性文化)な環境に基づく、いわば”ガス抜き装置”のようなものだったことも。
選ぶの自由だけど、生理的に無理な人もいるのだ。
ログインしてコメントを確認・投稿する