長崎の猫の79%はしっぽが曲がっている
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=121&from=diary&id=3929023
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160410-00010000-nishinp-soci&p=2
古来よりアテクシの故郷・長崎には『 墓(ハカ)・坂(サカ)・馬鹿(バカ)が多い 』と
言われてきた。実はコレらに匹敵する程多いものがもう一つある。
ソレは『 ネコ 』。 特に「キジ虎毛」の野良猫である。
たまにゃ、アテクシのふるさとの猫の話でもしてみよう。
長崎の猫の尻尾は、先っぽが曲がっていたり、団子のように丸まっていたり…。
長崎にはしっぽの形がユニークな猫が多い。
そして、昔から一つの伝説がある。 曰く、「尾曲がりの猫は鼠を獲る」
と云うものだ。
長崎県の猫の「尾曲がり率」は全国トップの79・0%という調査もあるが、
なぜ曲がっているのかは未だに謎だ。
調べてみると、鎖国していた江戸時代、長崎が西洋に開かれた唯一の窓口として
貿易の窓口を担った歴史と関係しているらしい。
個性的な猫たちのルーツを探ってみた。
尾曲がり猫は大きく分けて
(1)先端が折れ曲がった形の「曲がりしっぽ」
(2)途中で切れたように短い「短尾」
(3)カールして丸く見える「団子しっぽ」−の3種類。
【

TYPE A: 典型的な�,瞭団Г膿�尾の先端がL字型に折れ曲がっていいる。】
【

TYPE C: もはや尻尾が短すぎて、お団子状になっている。】
いずれも長崎市内では一般的で、しっぽがまっすぐな猫の方を
珍しがる地元の人も多いくらいだ。
この尾曲がり猫を調査したのが京都大の野沢謙名誉教授。
全国の1万2千匹を対象に1990年に行った調査では、
尾曲がり率は長崎県に続き鹿児島県(73・9%)、
宮崎県(62・7%)、熊本県(62・5%)と九州4県が上位を独占。
太平洋側の都市にも比較的多いことも分かった。
調査から20年近くたった2009年1〜7月に、市民団体「長崎尾曲がりネコ学会」が
長崎市中心部の4カ所で調べたところ、会員が遭遇した猫95匹のうち尾曲がりは71匹。
率にして74・7%だった。80・0%だった地域もあり、依然、尾曲がり率は高いままだ。
学会によると、日本の歴史上の絵画に尾曲がり猫が登場するようになったのは、
江戸時代に入ってからという。
中国やエジプトの絵画には登場せず、平安から鎌倉時代にかけて描かれたとされる
国宝「鳥獣戯画」にも、まっすぐで長いしっぽの猫しか描かれていない。
だが、1848年ごろに描かれた歌川国芳の浮世絵「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)」には、数多くの尾曲がり猫が登場してくる。
学会の西島茂行会長(69)は「尾が曲がった猫はもともとは外来種で、
江戸時代に日本に渡来して繁殖したのではないか」と推測する。
一方、野沢名誉教授は研究の過程で、尾曲がり猫の原産地が東南アジアで、
特にインドネシアに多く生息することを突き止めていた。
では、インドネシアと長崎を結ぶものは何か−。
昔、近所にネズミ捕りプロフェッショナルの猫がいて
貸し出していた。年末大掃除の時期になるとどこからも引っ張りだこで
アテクシんちもよく借りに行った。たしかやはりこの尻尾がお団子状のネコだったと思う。
アテクシんちは、食糧販売所つまりお米屋さんの隣に建っていて、隣から流入する
ネズミさんが大変多く往生していた。しかも、田舎なもんだから、そのネズミさんを狙って
青大将みたいな大型のヘビも出没する。主に被害に逢うのは軒先に巣作りするツバメさんで
よく、天井裏の柱にトグロ巻いてる青大将を物干し竿で叩き落すのがその頃のアテクシの
役目でしたw
実は、アテクシんちにも一匹猫は飼っていたんだが、バカ猫でネズミを恐がるのでした。
コレはアテクシが生まれる前引越し時に姉と母親が横須賀から連れてきた猫で
加えて老齢で、お昼寝させといた方がよいくらいの猫で、、、w
さて、有る年の瀬、大掃除煤払いの前の行事としてプロ猫様を借りに行き
納戸に放り込むと30分くらいドタバタと音がして、暫くして静かになったら、
そっと引き戸を開けてみると、、、見事に仕留めたネズミを咥えて伏せの体勢だった。
戸を開けるとスタスタ出てきてニャーというので、ウチのお袋が魚の骨入りの
ネコまんまをあげた。
返しに行くときお袋がいくばくか包んで、さらに御節の余りのお裾分けも持たされた。
貸し出すときは、前日から餌は与えないと飼い主さんは言っていた。
【

最近アテクシの地元が対岸の熊本に対抗して売り出した「ネコポン」w】
さて、本題に戻って、インドネシアと尾曲がり猫の関係だが、、、
江戸時代の長崎は、オランダ貿易の拠点。貿易を担った東インド会社の
アジア支店が置かれていたのがインドネシアのジャカルタだった。
また、とりわけにアテクシの故郷島原の口之津港からは、三井三池炭鉱から石炭を上海に
輸出して、最後はジャカルタまで行くバターフィールド商会の青い船が戦前の昭和まで
運行していた。そして娼婦達もその船に乗せられていた悲しい歴史がある。
詳しくは、山崎豊子さんの小説「サンダカン八番館娼館」を参照されたい。
♪姉しゃんはどけ行ったろうかい?姉しゃんはどけ行たろうかい?
青煙突のバッタンフール 唐は何処ん国 唐は何処ん国
海の果てばよ しょうかいな〜♪
【 参照:島原の子守唄 2番 】
当時、木造のオランダ船には積み荷を食べたり、船体をかじったりするネズミを駆除するため、
猫を一緒に乗せる習慣があったという。
学会メンバーの高島茂夫さん(64)は
「尾曲がり猫たちは貿易の中継地だったインドネシアを出航した船に乗って長崎に上陸し、
定着したのだろう」とみている。
学会は長崎の尾曲がり猫たちがその後、九州各地の港へと渡り、繁殖した可能性が高いと
考えている。
世は空前の猫ブーム。個性的なしっぽの猫たちは、鎖国時代の日本と海外との交易の
歴史を伝える生き証人なのかもしれない。
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