報徳報本社跡地 (明治町)
二宮尊徳の教えである報徳主義を推奨していた安居院義道庄七の指導に
より、嘉永五年(1852)森町村の山中里助(新村里助・豊作)は、後の報徳本
社に発展していく森町報徳社を創立した。
嘉永六年(1853)、山中里助・中村常蔵が遠州報徳社先覚七人衆の一員と
して日光の二宮尊徳を訪ね、約一か月滞在して尊徳の直接指導と遠州三十
余社の允許を得た。
明治五年(1872)森町報徳社、社長新村里三郎(山中里助戒名)は同志の
社を統括して、報徳遠譲社に所属したが、明治八年(1875)岡田佐平治が、
遠江国報徳社を結成するに伴い、里三郎は森町報徳社外同志の社とともに
遠譲社を脱退して、遠江木に報徳社に所属し、幹事の一員となった。
明治十二年(1895)森町報徳社、社長新村里三郎は無利息貸付制度を全廃
した遠江国報徳社から退社。これに同調して退社した二十五社と報本社を結成
し、社長となった。
明治三十一年(1898)民法施行にともない、社団法人認可申請の手続きを取り
翌年認可された。
明治四十四年(1911)遠江国報徳社は、大日本報徳社と社名を変更。その後
さらに、全国報徳社の大合同により大正十三年(1924)名実ともに大日本報徳社
となった。
昭和五年(1930)、社団法人報本社は大日本報徳社に統合合併し、大日本報徳
社森報徳館と改称された。
以来、百有余年にわたり、遠江一円の報徳仕法に努めた。遮断法人報本社は、
平成十四年三月解散した。
新村豊作遺徳碑
この石碑は森町報徳社創始者の山中里助の功績を頌えて明治三十二年九月
に三島神社の境内に建立され、後に社団法人報本社敷地内に移動した。
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