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2016年01月23日00:54

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森の街並み 案内看板(3)

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つい最近、案内看板が建てられたと情報がありましたので
早速、写真を撮りに行きました。本町の山中家の隣に建てられて
いました。
表題は「森市場と森の街並み」です。
写真が一部分庇の影になってうまく見えませんので、記載されて
入る内容を書きます。もし違って居ましたら、後日訂正をします。

森市場が形成したのは、鎌倉期(蓮華寺文書「もりやまの屋敷」)のようで
遠州一宮社の社僧蓮花(華)寺の支配により、太田川の河原に古町市場
(三島神社の山を森山と呼び、森下の河原町通りから十七夜に通りで、上
町・下町に区分)が立ったと見られる。森は信州に続く「潮の道」の経路で
あり、遠州横須賀や福田に下る太田川上流の船津で、森口と呼ばれてき
た。
また、北回りの東海道が東西に、さらに山中一円への出入り口の要所と
しても、二俣口と並んで盛んに交易活動が行われてきた場所である。

森は、古来太田郷と呼ばれ、郷内は小さな名(ミョウ)(一藤、蓮華寺、西脇
守山、太田、白幡)に分かれていた。森山(三島の山)の麓の市場の繁栄に
より「森市場」森町村と称され、森町の語源となった。

ところが戦国の頃に、武田・徳川の攻防により、森市場は衰微に追い込ま
れ繁栄を窮乏を回復する為惣町中を代表して石破座配野尻太郎左衛門は
天正五年(一五七七)年、徳川家康の「森市場禁制」を願い出て、古町に
「禁制立札」が掲げられた。これを契機に近世森市場の繁栄を見るに至った。


慶長五年(一六〇〇)年、未曽有の大水害により、古町(上町・下町)の上町
が川欠けし、仲町通りに白幡方、河原町付近に太田方の連中が、町中こぞって
移り住んだ。これ以前の古町のうちの下町が先に川欠けして、現在の本町
に、西脇、守山の名主層とともに移り住んでいた。

慶長以降、太田川の流路が大きく変わって、三島山は太田川の左岸から
右岸に変わり、慶長九年の検地を受け「森町村」が生まれた。

森の街並みは、中世市場開設の法則を備え「阿弥陀堂(三島神社)、市神」
(市杵嶋神鎮祭、禁制高札場、野尻家)御堂(西光寺)、薬師(大日堂)など
が街並みとともに配置されている。こうして、現在の町並の原形ができ、その
後正保四(一六四七)年に上新町(現在の新町)、下新町(旅籠町)が新たに
町割りされ、今の森町の街並みがほぼ完成した。

 元禄期には総軒数四百兼。文政十三(一八三〇)年には百五十八軒、人、
口は一千三百九十五人、商人百四十九軒、茶屋二十四軒。職人四十軒、
旅籠屋二十四軒の地方都市となっていた。
この頃の俗謡に「盛りの仲町なぜ日が照らぬ 秋葉道者の笠の影」と歌われ、
その繁栄ぶりを窺い知ることができる。また江戸から伝搬した「祭り屋台とお
囃子」は、本町・仲町、上新町に根付いて、華麗な屋台が造営まれた。

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