http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16120 (写真入り記事)
洋服のボタンをかける時に、最初の一つを間違えてしまうと、途中で『おかしいな!?』と感じて修正しても、なかなかうまくいかないものです。
そんな時、一からやり直すことが大切です。
最近発覚した、マンション傾斜・偽装問題が大変深刻な事件として認識されています。10年前に起こった、マンションの耐震偽装を行った姉歯事件も、どこかでボタンの掛け違いが起こったはずです。
『これくらいならいいだろう!?』『バレなければいい!』『バレっこない!』『今更、取り返しがつかないし、このまま進むしかない!?』と、ボタンの掛け違いを修正しないまま大きな事件に発展してしまいました。
急いでいる時ならいざ知らず、洋服のボタンの掛け違いならば、それに気づいた時に、一度ボタンを外して、かけ直せば済むことです。
しかし、これが人生のボタンの掛け違いだとしたらどうでしょう?
『見て見ない振りをする』
『気づかない振りをする』
『そのまま前進し続ける』
のでしょうか? それとも、
『人生を一からやり直す』
のでしょうか?
通常、宗教とは、前者です。ボタンの掛け違いを一からやり直すのではなく、修行や善行、団体や教祖に対する忠誠などで、軌道修正を行おうとします。
しかし、聖書が教えるのは後者です。『人生を一からやり直す』ことです。
聖書には、『福音(Good News)』が書かれています。
しかし、『福音(Good News)』が『福音(Good News)』になるために、まずは『律法Bad News』が書かれています。
『律法Bad News』は、私たち人間は例外なく『罪人(つみびと)である!』と教えます。
罪とは、人のものを盗んだとか、姦淫をしたとか、悪い行いをしたということではありません。これは『肉の行い』です。
罪とは、『死』という不治の病です。
つまり、『お前は罪人だから悪い奴だ!』というのではなく、『「死のとげ」という不治の病にかかっている!』というのです。
罪人が、前者のように、『悪い奴だ!』と捉えるならば、叱りつけて、反省と改心を強く迫る必要があります。
しかし、罪人が病人だとしたら、病人を叱りつけて何になるのでしょうか?
『あなたは病気だから、治療を受けなさい!』とススメるだけでしょう。
聖書の福音が、最初にBad Newsになる原因は、『お前は悪い奴だ!』と言われているような気がして、責められ、裁かれると感じるからです。
しかし、イエス様がご自分のもとに来た人を責めたことがあるでしょうか? もちろん、偽善者に間違いを指摘しましたが、『私は罪人です。私を助けて下さい。私を救って下さい。』と言って来た人を責めたことは一度もありません。
ただ、現代の医学をもってしても治らない不治の病や、ガンやエイズのように、完治が難しい病の宣告を受けたとしたら、普通の神経を持っている人には、間違いなくBad Newsです。目の前が真っ暗になるでしょう。
聖書が『あなたは罪人です!』という宣告は、それと比べられないほど深刻なものです。
しかし、一つ違うのは、罪という死の病を完全にいやす薬があり、治療する医者がいるということです。
イエス・キリストは、『健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』(ルカ5:31〜32)と語りました。
罪の宣告は、酷いものであり、死刑宣告のようなものですが、『あなたは死の病にかかっている。しかし、私のもとに来なさい。そうしたら、あなたの病はいやされる!』という福音なのです。
ここで、ボタンの掛け違いの話に戻りますが、罪を中途半端にいやして、その痛みを緩和させることは全く無意味です。
聖書は、『彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、「平安だ、平安だ」と言っている。』(エレミヤ6:14)と語ります。
当時、そういう偽医者、藪医者がいました。それは現代でもいます。
私は、カウンセラーとして人と関わることがあります。また、人の心の内側をいやすインナー・ヒーリングの働きをすることもあります。
しかし、私は、クライアント(来談者・相談者)が、「罪という死の病」にかかっていることを伝えず、その死の病の唯一のいやし主、救い主に出会わせることがないとしたら、カウンセリングは無意味だと思います。
それらは、ボタンを一から掛け直す作業をせずに、根拠なく「大丈夫だ!」「平安だ!」「問題ない!」と言っているに過ぎません。
言いにくいですし、面倒くさいですし、反感を買ったり、嫌われたり、迫害されるかも知れませんが、現状を伝え、唯一の解決者であるイエス・キリストを紹介する必要があります。
つまり、ボタンを一から掛け直して、人生をやり直すことです。
教会に通っているし、洗礼を受けているのに、ボタンの掛け直しをしていない人がいることに気づきました。
そういう人が案外多くいるかも知れません。
ボタンの掛け直しを怠ったり、していない人の特徴は、人間的なことにしか関心がなく、自分を棚に上げて人を粗を探し出して裁き、喜びや平安がないので、それを補うために様々な悪習慣から離れられなかったりします。
私は、日本中の人や世界中の人にイエス様を知って頂きたいと心から願っています。
しかし、教会にたくさんの人が集まることよりも、一人ひとりがイエス様と出会い、イエス様からの救いといやしを受けられることを願っています。
聖書には、一人が世界を救い、歴史を変えたという物語で満ちています。一人が大切です。
ボタンの掛け違いに気づき、ボタンの掛け直しをし、この一度の生涯を最高に生きていきたいですね。
私は毎日、そんなことを考え、そんなメッセージを出会う人に伝えながら生きています。
今日も、そのメッセージを伝える機会が与えられて感謝しています。
大切なあなたへ、大切なメッセージをお届けします。
今日も一日お疲れ様でした。
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