http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15739 (写真入り記事)
今日も一日守られ、充実した一日を過ごせて感謝します。
月曜日は、牧師の公休日ということにしていますが、ゆっくり仕事をしながら、良い一日を過ごせました。
「終わりよければすべてよし!」といわれますが、今日の終わりは、祈祷会でした。
この祈祷会は、「全日本徹夜祈祷会」ということで、10年以上の長きに渡って新宿シャローム教会を会場にして開催されて来ましたが、先月から、会場を新宿福興教会に移して行うことになりました。
私は、いくつもの祈祷会に関わっていますし、その多くで、司会をし、祈りや賛美をリードしていますが、どの会も同じ雰囲気にはなりません。集まる人の違いもありますし、会場の広さや雰囲気の違いも関係していると思います。
でも本当は、それぞれの祈祷会に違った使命があるんだと思います。
祈祷会は実に最高です。
昔、TVで映画を上映すると、最初と最後に映画の解説者が出てきました。そして、いつも同じ言葉で番組を終わりました。
水野晴郎は、「いや〜、映画って本当にいいものですね〜」
淀川長治は、「さよなら、さよなら、さよなら。」
この二人の解説者が、祈祷会後に登場したとしたら、きっと次のように言うと思います。
水野晴郎は、「いやー、祈祷会って本当にいいもんですね〜」
淀川長治は、「ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。」
今日の「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【41】」は、一日の終わりからお話をしましたが、話は午前に戻ります。
まず朝は、疲れを引きずったままスタートしました。だから、スローペースのスロースタートでした。
しかし、一つの仕事を始めると、気がついたら集中していました。そして、集中しなければできない仕事ですが、そんな時に限って、次から次に携帯電話が鳴りました。仕方なく後でかけ直すことにして、「ただ今電話に出られません」というメッセージを流しました。
仕事が一段落したのでかけ直そうとしますが、電話はかけるのはエネルギーが必要です。疲れていたり、元気がない時には、電話するのも苦痛です。しかし、機械的に、淡々と電話をかけているうちに、段々元気が出て来てました。こえは電話に限らず、出張などの仕事に出かけても、最初は元気が出なくても、打ち合わせをしたり、仕事をしているうちに元気になってしまうことがよくあります。
電話の要件が終わり、お昼になりました。
中学生の息子が運動会の振替休日で自宅で自習していましたが、「パパと食事に行きたい!」というので、お昼ご飯を食べに二人でバイクで出かけました。
久しぶりに行ったラーメン屋で、ラーメン(大盛無料)+半チャーハンで650円。二人で1300円、安く済みんで良かったです。さらに良かったのは、息子が、「ここのチャーハンおいしいね。ここはチャーハン専門店なの?」と聞くほど、チャーハンがおいしかったそうです。ラーメンもそこそこおいしかったと思います。
お腹がいっぱいになったところで、バイクにまたがり、コンビニ行き、バイクの税金を支払いました。バーコード一発で支払い完了、便利な時代ですね。
それから、韓国食品スーパーの前にバイクをとめて、息子は文房具を買いに向かいにある別のスーパーに行き、私は韓国食品スーパーに入りました。
ちょっと迷いましたが、中国産のキムチ5Kgで1500円を買うことにしました。食べ物は、安ければいいという訳ではありません。どうしても中国産というと一歩引いてしまいます。
しかし聖書は、「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」(第一テモテ4:4)と書かれています。感謝して、キムチを買うことにしました。
さらに、冷麺、豚足、カルビクッパスープを買いました。
買い物が済んだ息子と合流して、帰宅すると、妻はカルビクッパを待ちわびていました。おいしそうにご飯を入れて食べました。
韓国料理の中で私の好物は、参鶏湯(サムゲタン)、補身湯(ポシンタン)、冷麺、カルグクス(칼국수)、キムチチゲ(鍋)、豚足、韓国式の活魚料理などです。
残った仕事をしているうちに、あっという間に夕方の6時半になりました。
今日の夕食は、水冷麺(ムルネンミョン)と豚足とご飯を食べました。夕食では、好物の2つを食べたことになります。満足でした。
そして、冒頭でお話した祈祷会の時間になりました。あっという間の2時間でした。とても良い集会となり、心がいっぱいです。
私は、祈っていると、いくつかのことが起こります。
�� いろいろなアイデアがうかんできます。
�� 疑いや否定的な思いが消えて、「できる!」という思いになります。
�� 元気になり、疲れが癒され、体も癒されます。
�� 自分が一回りもふた回りも大きくなったように感じます。
これは、祈ったことで、トランス状態になったり、特殊な精神状態になったのではありません。むしろ、縛られていたものから解放され、自由になり、本来のありのままの自分に近づけたのです。
ぜひみなさん、一人で祈り、家族で祈り、友達と祈り、教会で祈り、さらには、電車やバスの中でも祈り、職場でも祈り、どこでも、どんな時にも祈ることをオススメします。
聖書は、「絶えず祈りなさい。」(第一テサロニケ5:17)と語ります。
いつでも祈っている状態、どこにいても神とつながっている状態で生きることを命じています。
もう100歳近くになりましたが、世界的な伝道者であるビリー・グラハムは、遺言を残すとしたら、「第一に祈りなさい。第二に祈りなさい。第三に祈りなさい。」と言葉を残したい、と語りました。私も同じです。
祈りなさい、祈りなさい、と聞くと、祈っているだけでいいのか!? という疑問が湧いてきますが、祈っていると、心が神とつながり、心が変わるので、自然に、変わった心に動かされて新たな行動が生まれます。
だから、祈っているだけという人がいたとしたら、もしかしたら、本当の意味で祈っていないのかも知れません。
宗教的なお勤めとして口を動かし、言葉を発していたとしても、神と直接交わり、話し、触れ合うことをしていないなら、それは単なる儀式です。
儀式ではなく神と交わる祈りを、そして、宗教ではなくイエス・キリストと共に生きていきたいものです。
今日も感謝を持って一日を終えられました。お疲れ様でした。おやすみなさい。
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