■仏首相「テロとの戦争に入った」 1.5万人警戒態勢
(朝日新聞デジタル - 01月14日 11:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3224791
まずは、犠牲者の方へお悔やみ申し上げる。
この事件は「西欧vsイスラム」、「宗教vs表現の自由」といった、論じかたがなされている。
しかし、「風刺とは何か?」という重要な論点が論じられていないような気がするのは、筆者だけだろうか?
そもそも風刺が笑ってきた相手は、愚かな為政者や独裁者、あるいは、相応の社会的地位や権力を持つ者であった。基本的には「自分よりも、圧倒的に強い者を相手にした知的ゲーム/ケンカ」である。
イギリスの「モンティ・パイソン」も、権威ある哲学者にサッカーをさせ、「ヴィクトリア女王杯」と題して女王陛下を陸上競技に参加させ、そして、「上流社会☆アホレース」と題して、お金だけ蕩尽してから勝手に自殺する上流社会の人々を笑いのめした。
彼等は、我等の中にある俗物根性も笑いのネタにしてきたが、「きちんと」われわれよりも「強い者」を相手にしてきている。
之は、「長い者に巻かれろ」とは、対照的な精神的姿勢であるといってよい。
したがって、我が国が風刺に対して不見識を演じるのは、当然の帰結なのである。
ところが、『シャルリー・エブド』紙が笑ってしまったのは、フランス社会における「社会的排除にさらされやすい人々が、拠り所にしているもの=イスラム教」であった…。
よりによって!風刺作家が「弱者」を叩いてしまったのである。
之は、風刺作家の職業倫理に背く行ないではないのか!?
もちろん!今回のテロの「言い訳」にはならないが、これはコレで深刻な事態である。
イスラム国へと憧れる欧州の若者の背景に、「欧州社会に対する幻滅」があるという。
そのような身近で深刻な問題に向き合い、笑いのめすことなしに、そして、「イスラム教とは、何か?」という根本的な問題を考えることもなくムハンマドを笑いのめした結果、「風刺作家が、弱者を笑いのめす」という最悪の結果を招いたものと考える。
逆に、コミック『聖☆お兄さん』の笑いがテロ等の深刻な状況を生まないのは、作者が宗教を知悉しているためである。
筆者と似たような論旨の文章を目にしたので、貼り付けておきます。
「シャルリー・エブド襲撃後の“言論の自由”という偽善」,『マスコミに載らない海外記事』より。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-ac91.html
ちなみに筆者がイスラム教に出会ったのは、1998年のボスニアのサラエボにおいてである。
サラエボは、3つの宗教が共存してきたという歴史的経緯もあり、欧州の中でもムスリム人口の多い街である。
内戦終結3年後に、彼の地を訪れた筆者は、現地の戦場カメラマンと共にサラエボのモスクへと案内してもらったのだ。
現地の宗教指導者は気さくな人物で、幾何学模様が描かれ、「コミュニティ・センター」として機能しているモスクへと快く招いてくれた。
このような出来事のおかげで、筆者は「イスラム教=アルカイダ」と考えずに済んだ。
ともあれ、フランス政府は「テロとの戦い」を宣言し、航空母艦の派遣を決めた。
しかし、そこに「ショック・ドクトリン」の匂いを感じるのは、僕だけだろうか?
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