今朝がた色んな夢を見た。
詳しい内容はあまり覚えていないのだが、一部覚えているモノがあったので書いてみる。
あんまり楽しいないようではないので、楽しい日記が読みたい人は読まない事をお勧めする。
舞台は戦中の日本。
学校のような所に30人くらいの子供たちが収容されている。
ほぼ衣食住を同じ空間で過ごさなければいけないような環境だ。
戦中で、食料もあまりなく、みんなみずぼらしい恰好をしている。
お世辞にも恵まれた環境下で育ったとは言えない子供たちで、すごく素朴な半面で、心はやや荒んでいる子が多い。
私はその子供らの中の1人だった。
子供ながらに、集団の主導権争いのような小競り合いは絶えなかった。
一番偉くなって、少しでも多くの食料を家族に持って帰ったり、大人から贔屓してもらって色んな優遇を受けたいと思ったからだ。
ただ表立って派手な事をすると逆に処罰の対象になるので、裏で陰湿に行われる事が多かった。
私は、裏でこそこそすると言うのが大嫌いで、よく処罰の対象となった為に、実力とは関係なく主導権を握れることはあまりなかった。
ある日、あまりにも卑怯な方法をつかうヤツがいたので、鉄パイプで頭を殴った。
そいつは頭から血を流して気を失い、私は大勢の大人や子供に捕まえられそうになった。
私は捕まりたくない一心で、目の前にいる全員を鉄パイプで殴りながら逃げた。
おそらくは15〜20人くらいはブッ倒した。
そもそも、卑怯な方法を使ったヤツだって、そんなに仲が悪い訳ではない。
友達か?と聞かれれば 友達だ!とはっきり言えるくらいの仲だ。
まぁ、親友か?ときかれれば、違う!とはっきり答えられるのではあるが……。
それ以降、私は、軽蔑と恐れの目で見られるようになった。
異端児としてのレッテルを張られ、どんなに良い事をしても認められる事はなかった。
おかしな事件が起これば、関わっていようがなかろうが、すべて私のせいにされた。
そして、気が付いた。
暴力で、私におそれを感じた人間は、私に対して卑屈になる。
しかし、集団という力をつけた場合、私を社会的に排除しようとする。
暴力で言う事を聞かせようとする人間には、数を使って潰そうとする。
今までの歴史で、アメリカを作った時、オーストラリアを作った時、ヨーロッパの国々を作った時、人は戦争をして、人を殺して、支配をしてきた。
暴力を使ったとしても、その支配力が強いと誰も文句が言えない。
ただ1人だけだと、大人数で潰される。
暴力の果てに、国を作り上げたくせに、その国を暴力で新しい組織に生まれ変わらせようとする人間は、テロリストや国家反逆という汚名を着せられて、処罰される。
そこに暮らす人間の安全と安心の為に、それは絶対にしなければいけない事だと思うが、それでも新しい組織を作るためには、それをしなければいけない。
幕末、戦後、日本はそういうのを散々味わってきたはずだ。
双方に正義があり、引けないから殺し合う。
仮に私に大きな大義があったとしても、私に賛同する人間が1人もおらず、1人で戦ったとしたら、どんな大義であっても、現在の法や道徳によって裁かれてしまうだろう。
そしてどんな大義があろうとも、鉄パイプで人を殴れば、その罪を償わされる。
どんなに私が正しかろうが、私に耳を傾ける人間など1人もいない。
卑怯は法で禁じられていないが、暴力は法で禁じられている。
その可笑しさを理解できる人間なんかいない。
最初に卑怯な事をしたヤツは、私に殴られた事とは関係なく疫病で亡くなった。
しかし、私が殺したという噂が広がり、私は大勢から投石されて組織が壊疽し、破傷風と壊疽で死んでしまう。
夢はそこらあたりで覚めた。
暴力はそういう結果しか生まない訳ではない。
アメリカやオーストラリアは、人の土地を侵略し、原住民を残虐して出来た国だ。
しかし今でも多少の問題はありながらも、普通の国として機能している。
歴史上も戦争で勝った国はあまり文句を言われない。
暴力がわがままかどうか?なんてのは、暴力を扱う人間の人数や、その組織の大きさや権力に依るのではないか?
多少の自己中心的な思想であっても、より大衆の心を組めばそれは大義と成り得る。
大義とは天意といえる。
なぜなら神は人間が作り出したモノだと思うから。
平和というのは、陰の暴力に守られている。
死刑は暴力とは違うが、結局は法できちんときちんと定められた暴力という事だとは思う。
わがままというのは、志が自分だけの為に動くような思想の人間の事を言うのだろう。
志が高く、皆の為に通すわがままは本来はわがままではないのではないのだろうか?
しかし、その志の高さを理解できるくらいに頭が良い人間は全人口の数%しかいないのかもしれない。
自分らの集団に不利益でありながらも、それが世界の為に正しいと思う事を実行するリーダーは支持されない。
なぜなら、その集団の長であるという事は、その集団を守る事だからだ。
集団ごとの長がそう考えているのであれば、常に暴力を背景にした平和を保つ均衡が必要となる。
集団の長は、その集団が他の集団より、より良い環境になるように努力する。
その為には、多くの長との協力が必要。
しかし、協力とは名ばかりで、常に不利な状況を押し付けられるケースなども多々ある。
そのグループと一旦そういう関係になってしまったら、修復するのは不可能。
リセットしてやり直す必要がある。
リセットとは戦争か? もしくは無関係にするか?
戦争は関係ない人間を犠牲にするので余計に関係を拗らせれる。
一旦関係があった組織を無関係にするのはたやすくない。
私の脳内だけで、この思想が動く事には何の意味もないのかもしれない。
しかし日記に書くことで、何かが変わるかもしれない。
私はいつか本を書きたい。
脳内で流れる事を書き留めておきたい。
それが生きている意味のような気がする。
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