mixiユーザー(id:3688633)

2013年06月15日17:59

25 view

【旅行記】2013.4〜5: チュニジア―ドゥッガ―

Roman cavalry choirs are singing
                  Viva la Vida/coldplay



本日はチュニスから約100km南西にあるローマ遺跡・ドゥッガに日帰りで行く。

ホテルで朝食を取り、昨日降りたったバスターミナルへ。ドゥッガへの直通ルアージュは無く、まず近くの町・デブルスークまで向かう。デブルスークまでは約2時間、車窓にはヨーロッパの田園地帯を思わせる様な、美しい牧草地帯が広がる。かつてローマの穀倉地と言われただけあり、南西部は肥沃な土地の様だ。昨日までいた南部の砂漠地帯とは全く違った風景に、この国は日本同様、狭い国土に様々な気候が凝縮されている事が伺える。

デブルスークに到着、ここからはタクシーに交渉してドゥッガへ行かなくてはならない。ルアージュを降りると早速、タクシー運転手らしき男が声をかけてきたので交渉し、往復20Dで行ってもらう事に。デブルスーク中心部から15分程、小高い丘を登った所にドゥッガの遺跡はあった。

ドゥッガは紀元前4世紀にはヌミディア王国の重要都市として栄えたと言われているが、その後、カルタゴの支配下におかれた。カルタゴやヌミディア王国が次々とローマ帝国に破れた紀元46年、この土地もローマ帝国の領土となる。紀元2〜4世紀に繁栄を極め、少なくとも1万人が住んでいたという。しかしローマ帝国の衰退と共に街は廃れた。19世紀末に発掘が始まり、1997年にローマ・ビサンチン複合遺跡として世界遺産に登録。

チケットを買って入場すると、まず巨大な円形劇場が目に入ってくる。円形劇場を一番上まで昇り、更に歩いてサターン神殿へ。神殿と言っても僅かに遺構が残っているのみ。遺跡中心部に戻ろうと歩いていると、日本人男性に会った。彼は昨夜デブルスークの街に泊まり、朝一でドゥッガを見学していたとの事。うーむ、GWとはいえ、ガイドブックに「個人では行きにくい」と書いてあるこんなマニアックな遺跡で日本人個人旅行者に会うとは(汗)。
ゆっくり見学しながら、遺跡中心部に到着。

すごい…これはすごいぞ

この時点で、今回の旅行を通して一番テンションが上がっていた私。もちろん声には出していないが、ウォーー!!っと心の中で叫んでいた。
ガイドブックによると遺跡の中心はキャピトルと呼ばれる神殿跡。ジュピター・ジュノー・ミネルバの3神を祀るもので、皇帝マルクス・アウレリルス(世界史でやった)に捧げられたもの。コリント式の円柱が残っている。
フォト

このキャピトルが古代ローマ時代の街の中心であり、遺跡もここを中心に広がる。いちいち書いてると大変なので、印象に残ったものをいくつか挙げることにしよう。

メインストリートをそれて遺跡郡の中にある地下への階段を下り、暗闇のトンネルを抜けると、リニキアの浴場に着く。浴場自体は然程広くはないが、美しいモザイクや、頭部の欠けた彫像が比較的良い状態で残っている。映画「テルマエ・ロマエ」の一場面のようだ。
フォト

再びメインストリートを下り、途中の階段を降りるとトリフォリウムの家。ここは公営の売春宿。驚くべき事に、ローマ帝国の大きな都市にはほぼ公営の売春宿が設置されていたのだ。ここは遺構が残っているのみだが、学生時代に訪れたイタリアのポンペイには保存状態の良い売春宿が残っていたのを思い出す。確か、壁に猥褻なモザイク画なんかがあったと思う。次々と領土を広げ栄冠を極めたローマ帝国、征服地の人々は奴隷にされたが、不運な女性はこの様な公営の売春宿で強制労働を強いられていたのだ。
中心部を放れてオリーブ畑を抜ける。農夫のおじさんに道を訪ねつつ石畳を丘下へ下ると、リビコ・プュニック廟がある。チュニジアにおけるローマ時代以前の建築物の中で、僅かに残ったものの一つだ。紀元前3世紀のヌミディア王国指導者を記念して建てられた塔。ただ、オリジナルは19世紀に英国人が大英博物館に碑文を持ち出そうとして崩壊、現在のものは再建されたもの。
フォト

中心部から森を抜けると、カエレスティス神殿だ。チュニジアも今は春、この神殿の周りは特に、色鮮やかな花ばなが咲乱れていて、遺跡とのコントラストが美しい。カエレスティス神殿は、紀元3世紀頃に女神を祀ったとされる神殿で、ビサンチン時代にはキリスト教の教会に変えられた。ただ、現在はキリスト教を思わせる装飾は一切残っておらず、森の外れに静かに佇んでいる。神殿から丘の下を見下ろすと、緑の牧草地帯が何処までも続いていて、草の匂いを含んだ風が気持ち良い。
フォト

3時間近くウロウロしていた。2年前にツアーで訪れたトルコのエフェソスやパムッカレ(同じくローマ系遺跡)では、見学時間が全く足りず悔しい思いをした。やはり私の様な遺跡好きは、苦労してでも個人で観光しなければ満足できないのだ。

歩き回って空腹も最高潮。デブルスークの街に戻り、庶民的なカフェでかなり遅いランチ。ドゥーズで食べて気に入ったオジャを頂いた。 ルアージュでチュニスに戻る。チュニスのバスターミナルに着く直前に、ローマ時代の水道橋があるのを行きに確認していたので、少し手前で降ろして貰って見学。
フォト

ホテルで少し休憩した後、お土産ゲットの為に街へ繰り出す。先ずはメディナ(旧市街)だ。メディナへの入口はフランス門という、ホテルからすぐの所にある。狭い路地に様々な種類の店が無数に立ち並び、凄い活気。適当に進んでいたら店が途絶えたので横道に逸れると、先程までの喧騒が嘘の様にひっそりしている。暫し、チュニジアのメディナにある家々の特徴であるドアの装飾を見学しつつ、ノスタルジックな風景の中をさ迷った。ちなみにチュニスのメディナも世界遺産だ。
フォト
フォト

メディナを出て、ブルキバ通りと呼ばれる大きな通りに出る。

……え〜と、なんでしょう、このヨーロッパは(汗)

偽シャンゼリゼと呼んでも過言ではないと思う。大通りの両側には洒落たカフェやコロニアル様式の建物が立ち並び、劇場や大聖堂もある。驚いた事に、ZARAまである。日本ではファストファッションの一つだが、チュニスのそれは入口に黒服の警備員が立っていて、客も小綺麗な恰好をした裕福層。私も冷やかしで入ってみたが、値段は日本とそう変わらなかったと思う。チュニジアではとんでもない高級店という事だ。このブルキバ通り沿いにスーパーが2つ程あったので、お土産を買った。相変わらず外国のスーパーは楽しくて、いくらでも時間が潰せる。家電製品も売っていて、テレビではコナン君がやっていた。ただ、他の都市ではスーパーをほとんど見かけなかったので、庶民はスークや市場で買い物をするのが一般的なのだと思う。
夕食はホテルの従業員お勧めのレストランで。地元民にも人気の店の様で、家族連れで賑わっていた。コース料理でメインはタジンを選んだ。タジンと言えば日本で少し前に流行った鍋料理を思い浮かべる人がほとんどだが、あれはモロッコのタジンで、チュニジアのタジンはキッシュみたいな料理だ。ボリューム満点で、デザートのチョコレートムースをやっと食べた。

ホテルに戻ろうとブルキバ通りに出ると、先程は気がつかなかったが、装甲車が止まっていた。そう、ブルキバ通りは2年前の革命デモの舞台となった場所。また、通りがかったフランス大使館には頑丈な鉄冊が何重にも張り巡らさされていた。再び暴動が起こるのを恐れての事なのか、又はフランス軍は現在、マリを攻撃しているので報復を警戒しているのかもしれない。

チュニス中心部は一見、ヨーロッパの地方都市かと見紛う程発展しているが、私達旅行者はこういったふとした所にこの国が抱える闇を垣間見てしまうのだ。

ルアージュ:14D
タクシー:25.5D
ランチ:6D
ディナー:9.5D
ドゥッガ入場料:6D

61D=3843円



5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2013年06月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30