仏教における ”0” の理念は、仏教では空、サンスクリット語ではシューニャ (शून्य, sunya) として表現されているらしい。
「空」の仏教的意味は「膨れ上がった」「うつろな」の意味らしいが、膨れ上がった物は中が空であるとの考え方から来ているとの事。
また、仏教では ”0” とは数式上は実在するが、真に実在するものではなく、その真相は空虚であると説いている。
私の理論では、死と誕生の間には ”0” を通過する必要がある。
存在しない点を通過するという事はどういう事なのだろうか?
A、B、Cの一直線上にある地点をAからBからCへと通過する場合。
AからBまでの距離、BからCまでの距離が各々10メートルだとする。
通行人の体の中心点の位置を仮にGという点とした場合。
GとBの距離がゼロになる事はないと思う。
Gは限りなくBに近づき、それを越えた時、Bから遠ざかる。
だが、実際は、GはBを通過して、Cへと向かっている。
存在しない ”0” を通過したと言える。
これは、現実世界にはAやBやCやGという点や、点の集合体である線が存在しない事を示す。
現実世界の点は円であり、点や線は面積を持つ。
いや、面積ではない、2次元も実在しない。
立体である体積を持つのだ。
だから、10−10=0 というのは
理論値という特殊な世界であるな。
個数には対して通用しても、実測値には通用しない。
我々は数学でそう習ったので、疑いを持たないだけだ。
理論的には ”0” は存在しない。
と、いうだけか。
では、死や誕生や輪廻転生が、理論で証明できる訳がないな。
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